若冲、暁斎、古邨 変転する関心

 昨日記した”『文人畫三大家集』審美書院明治42(1909)年初版には渡邊崋山「千山万水図」は未掲載。昨品評価の変遷を辿ってみたくなる。”をうけて。 与謝蕪村、田能村竹田そして渡邊崋山を収録した『文人畫三大家集』の編者田島志一は、その緒言に書いている。

《 (略)前に大雅、蕪村あり、後に竹田、崋山あり、但だ大雅は其人格高逸にして其畫亦詩氣横溢せりと雖も、構圖多くは蕪雑、落筆また穏實ならす、獨り蕪村は 竹田の言へる如く、用筆傳彩全然たる明人、布置點景これを邊邑僻景に取る、故に景は新にして法は古く、意を用ふること最も深し、高名の下虚士なく、 其作る所の畫は、一種の俳味津々として(中略)吾人は寛政前後の大家中彼れを推して第一人と為さんす、又蕪村より少しく年代降れる文化文政は幕末に於ける 文藝最盛の時代なり、名家ほ星の如く、巨匠林の如くなりき、而も文墨一代を壓し、丹�疼當時の冠たりしものは蓋し田能村竹田なり、筆に随つて詩文立ろに成り、 意の向ふ所山水花卉倏ち生ず、而も絶代の文豪頼山陽にあらざれば敢て一語を其畫に著くることを許さず、自ら信ずるの厚く、標置するの高くして、他人をして、 其畫を汚さしむることを欲せざりしを見ても、韻致の超妙卓抜なるを想ひ知るべし、崋山に至りては其操行實に百世の龜鑑とする所、其人格に推服し、其畫に 於けるも亦余世の大手筆たり、況んや其揮灑せるもの、精忠純義の氣磅ばくせるをや、吾人は平生深く此三大家の人格に推服し、其畫風を尚慕するものなるが故に、 各自の傑作を網羅し、之を天下に紹介して以て其面目を發揮せんと欲し、其材料を諸家の珍蔵より撰抜して、ここに本書を發行す、(以下略) 》

 明治42(1909)年に刊行された『文人畫三大家集』から約半世紀経った1961年、大岡信は「水墨画私観」に書いている。

《 だが、こうした絵画が実際に実現され、そして蕪村はたしかに大雅の品格に及ばないことが、その作品を見てぼくらにも感得できるということ、これは 驚くべきことではなかろうか。これも「國華」七十年展で見ることのできた大雅の「龍山勝会図屏風」が、そばに並んだ蕪村の「柳蔭帰路図屏風」を顔色 なからしめていたことを、ぼくは今ありありと想い起こすことができる。そして、蕪村は依然として秀抜な画家にちがいないのだ。 》

 昨日夏目漱石『それから』についていろいろリンクを貼ったが、漱石1906年発表の『草枕新潮文庫1987年84刷改版、1988年86刷の31頁。

《 横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが 多いが、この鶴は世間に気兼(きがね)なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形(たまごなり)の胴がふわっと乗かかっている様子は甚だ吾意 (わがい)を得て、飄逸の趣は、長い嘴(はし)のさきまで籠っている。 》

 漱石が小説で書いているほどに、当時は伊藤若冲は一般にも知られていたと思われる。いつごろから忘れられたか定かではないが、半世紀以上に亘って 忘れられ、1970年代になってやっと再発見、再評価され、今の人気につながる。その『草枕』の、柄谷行人が1981年に書いた解説では。

《 漱石が教養ある「余裕派」で大衆向きの作家であるどころか、最も暗い存在論的な作家だという見方が定着してきたのは、たかだかここ二十年くらいの ことである。しかし、たぶんそのような評価もまた偏っているように思われる。 》

 人気と評価はガラガラ変わる。日本画河鍋暁斎しかり、木版画絵師の小原古邨しかり。二人が生きていた時代には一般はわからないが、美術関係者には よく知られている画家だった。第二次大戦後二人は急速に忘れられた。何故かはわからない。1981(昭和56)年、太田記念美術館の「河鍋暁斎 生誕150年展」 へ行った。へえ〜の連続だった。当時河鍋暁斎記念館の館長が某雑誌に寄せていた文章に、戦後急速に忘れられてしまったということが書いてあって胸を衝かれた。 河鍋暁斎の人気は、1993年の大英博物館での展覧会を契機に、だと思う。そういえば、暁斎菩提寺沼津市の千本松原にある。誰も関心を示さない。
 小原古邨は二十一世紀も十年が過ぎて急に関心が集まった。小原古邨は、2002年アムステルダム美術館で日本人初の展覧会が催された。NHKをはじめ マスメディアにお知らせを出したが、美術界からマスコミまで全く無視された。大英博物館で開催されたら、扱いは違っていたかも。2007年の『版画芸術』の 特集でも動かなかった。なんだろう、この数年の関心の広がりは。ファン・ゴッホクロード・モネは仕掛け人がいたが。

 以前にも引用したが、フリーダ・フィッシャー『明治日本美術紀行』講談社学術文庫2002年初版から。

《 一八九九(明治三十二)年 三月三日 東京
  欧米のコレクターは、奪いとるようにして浮世絵版画を買い求めている。だが、それにひきかえ、日本の美術関係者は浮世絵にはいかにも冷淡すぎると思う。 日本の博物館は、浮世絵を完全に無視している。「このような卑俗なものは、当館にはふさわしくありません」しばらくまえ、館長の山高氏はにべもなく、 こう言い放った。いつだったか、日本の芸術家や博物館関係者がわたしたちを訪れたとき、きょうのオークションで写楽の浮世絵がなんと千三百円(二千七百 マルク)の高値で売買されましたよ、と意気込んで話してはみたが、ひとりのこらず狐につままれたような表情を見せ、八人が八人とも写楽という名前に何の 反応も示さなかった。つまりかれらは、なんと写楽を知らなかったのだ。 》 48頁

 ネット、いろいろ。

《 インドで1億5千万人の仏教徒を導く、81歳の日本人僧「私には黒い血が流れている」 》 週刊女性PRIME
 http://www.jprime.jp/articles/-/10511

 昨日午後、未亡人となった知人女性に話を伺った時、遺骨は遺言によって来月海へ散骨すると言う。なんだ、そんな身近に散骨を請け負う人がいるのか。 いい話を聞いた。

《 量子力学から熱力学第二法則を導出することに成功 〜「時間の矢」の起源の解明へ大きな一歩〜  》 日本の研究.com
 https://research-er.jp/articles/view/62504

《 【スガ「政府の立場で答えることは控えたい!」】
  日立の英国「原発」 政府が全額補償検討か報道を巡って
  東京新聞・望月記者「国民の税金が投入されかねない
  311があった上で原発輸出を進める必要があると政府はお考えか?」
  スガ「一つ一つの報道について政府の立場で答えることは控えたい!」 》 水
 https://twitter.com/yzjps/status/905338167787569152

《 原発近くにカジノ建てれば良いんじゃないの? 》