『擬( MODOKI )』三

 松岡正剛『擬( MODOKI )』春秋社2017年初版を読み進める。

《 なぜそうなったのか。松本(健一)は天皇に姓がなかったからだという説明をしたが、これは日本では天皇家易姓革命をもたらさないようになっていたからで、 姓がなければ皇位の簒奪もおこらないとみなされてきたからだ。(中略)姓のない親王(皇太子)だけが天皇になれたのである。(中略)それはそうだとしても、 しかし実際には簒奪は何度もおこっている。 》 「第十六綴(てつ) 孟子伝説」 200頁

《 面影はそこに截然としてあるものではない。そのイメージが景色や風情をともなって、おぼつかなくも模擬的に再来してくるものをいう。 》 「第十七綴  面影を編集する」 219頁

《 モドキは歴史を擬装することもある。(中略)日本の芸能は、この「何かの」を面影として継承するために「擬きの芸」に徹した。 》 「第十八綴 擬」  230頁

《  できればもっと科学と文化を一緒くたにできる話をしたいのだ。自然と社会を連動させて語っていたいのだ。

  最近になって(といってもこのニ〜三十年間のことだが)やっと二つの自然システムと社会システムをダイナミックにまたいでもかまわない見方が出てきた。 「複雑系」( complex system )という見方だ。 》 「第十九綴 複雑な事情」 253頁

《 しかし複雑系では「不変なもの」とは関係なく、出来事が自律的に変わっていく。その自律的に変わっていくことを創発( emergence )がおこっていると見る。  》 「第十九綴 複雑な事情」 256頁

《 発現や創発は偶発なのではない。偶発的に見えたとしても、そこには「隠れたもの」が内在していたわけだから、創発には偶発性ではなくて「偶有性」ともいうべき ものがひそんでいたことになる。この情報的偶有性のことを、この用語がとても重要なのだが、ぼくはある時期からもっぱら「コンティンジェンシー」 ( contingency )として理解してきた。 》 「第十九綴 複雑な事情」 257頁

《 見えなかった原因が見えてきたというのではない。ある結果に対してある原因が見つかったというのでもない。他様な発現をきっかけに、それらの因果を含めた 「別様の可能性」が認められたのだ。そういうとき、その対象や現象やシステムにが、共接的なコンティンジェンシーがひそんでいたというふうに見る。 》  「第十九綴 複雑な事情」 258-259頁

《 フランス語のアンシダンは英語のインシデント( incident )にあたるもので、アクシデント( accident )が突発的あるいは偶発的におこった出来事や事件で あるのに対して、ごく些細におこった出来事をいう。 》 「第十九綴 複雑な事情」 261-262頁

《 バリーがピーター・パンに託して描いたことからバルトやセールがインシデントなコンティンジェンシーに託したものまで、ざっと示してみた。 》  「第十九綴 複雑な事情」 263頁

 終盤近くになって一段と熱くなる展開だ。椹木野衣『震美術論』へつながるような論述もあり、唸る。ロラン・バルトミシェル・セールだもの、興奮する。

 強風の一日。昼、冬用のやたら重い敷布団を屋上で干して、しばらくして見ると、あれ、無い。どこへ飛んだ? 東隣の家の一階の平屋根に落ちている。すぐに 隣の一階のお店を訪ねると、臨時休業。裏口も締り、人気はない。えい、仕方ない最終手段。我が家の二階の東の窓を開け、お隣の一階の平屋根に足を伸ばす。 慎重に足を進め、重い敷布団を窓へ押し込む。ミッション、無事完了。やれやれ。ふう。
 夕食の買いものへ。レジで気づいた。あ、財布を忘れた! 慌てて引き返し、勘定を済ませる。やれやれ。スーパーの出入り口の広場には老若男女がたむろしている。 よく見ると皆スマホをじっと見ている。ポケモンかあ。
 なんやかやヘンな一日。