山口昌男『内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』晶文社2001年初版の再読を始める。「あとがき」から。
《 魯庵がこれらの時代をそれぞれの主題に立ち向かいながら生き、しかもどの時代にも取り込まれることなく自己を実現していった様態を描きたいと思ったのである。 そうした意味で、本書は『「挫折」の昭和史』『「敗者」の精神史』岩波書店と共に、「日本近代史の見えない部分」を描く三部作ともいうべき最後の一冊であるといえる。 》 596頁
「I 魯庵の水脈」、「1 その始まり」を読んだ。
《 我々の意図するのは、教科書的な意味での日本の近代とやや外れたところに存在した知の原郷というものを訊ねあてることにある。 》 19頁下段
「2 明治の逸人──西沢仙湖」を読んだ。
《 仙湖と好一対で京から出てきた久保田米僊も根岸派の一人であったから、米僊、(幸堂)得知(こうどう・とくち)、仙湖の三人は極めて近い存在であった。更に、 根岸派に加わらなかったが鶯亭金升は根岸の住人だった。金升は既に触れたように、仙湖を東京に連れてきた人物である。この四人は、今から見ると、消えてしまって 見えなくなっている時代の共通項のようなもので繋がれていたのである。ネットワークを知るのが重要なのは、そうした繋がりを知ることによって、一人一人の人物について の同時代ならびに後代の記述には残されていない事実というものを他の人物の側から投影して浮かび上がらせることができるからである。 》 41頁上段~下段
《 こうした横の繋がりの糸はあちこちに張りめぐらされ、それが遊び、道楽という共通項の上に載っていた。 》 42頁上段
《 従って斎藤昌三は、仙湖を明治文化史研究上の重要人物として捉えようとする。政治家、財界人、軍人、大学教授ら位の高い勲章を貰う人ばかりでなく、道楽に 身を任せて晩年を過ごしたような人物の中にも、時代が鋭く反映されることを斎藤昌三は説いているのである。 》 44頁下段
《 文化の中にはこのような反世界が仕掛けられており、そこに至る脱け道が用意されている。多くの場合、それは苔や黴に蔽われて、人が気づかないように偽装されている 。日本近代の場合、それは藩閥政治の仕掛けた「公(おおやけ)」からやや遠い所に点在していた。 》 49頁下段
「3 野のアカデミー──集古会」を読んだ。
《 考えてみれば集古会はそのような同好会であったといえる。大学の学問が、当然ながら専門化という過程をたどり、ヒエラルキー化、排除に基づく孤立化という道を たどってきたのは当然の事情であったといえる今日、もう一度始まりに立ち還って考えてみることもときには必要である。 》 59頁下段
《 どうも、私には、日本という歴史的状況の中で、これらすべては、藩閥政府の設定したヒエラルキーが学問の中に持ち込まれた、あるいは大学がそういうヒエラルルキー を前提にしてつくられた結果見えてしかたがないのである。 》 60頁上段
《 とどのつまり、藩閥政府が築き上げようとしている、権力を中央に集め、薩長を中心とした少数の集団が情報を集め、情報そのものも、それを管理する人間たちも、 役に立つ・立たぬの二元的価値を基に階層化しようとする統治機構が生み出すリアリティとは別の、知識・情報を自らの手で生み出し、それらを育て、自ら管理し、 頒ち合いながら作り上げる、今流行の言葉で言えばオルターナティヴ(もう一つの選択)の現実、リアリティともいえるものである。物に支配されるのではなく、物を 通して、自らの抱き持つ潜在的可能性を開発していくこと、それは「文」を通して可能性を開発していく文学の営みと少しも異なるものではない。 》 60-61頁
「4 和綴の雑誌──『集古』」を読んだ。柳田国男がコテンコテンにやられている。
《 「和綴の本で」というのは『集古』の体裁のことで、ここに洋紙を使わないことについての侮蔑の眼差しがすでに読み取られる。今日私たちには恰好良いと思われること がすべて、柳田にはおぞましいことに思われたらしい。 》 74頁上段~下段
《 それはともかく、官製の西洋崇拝の風潮の中で、通・道楽・趣味といった一見実効性のない動機を戦略として使ってきた「町の学者」のスタイルに嫌悪の情を示したのは 、柳田の「田舎者」コンプレックスからくる態度であった。柳田の「田舎者」コンプレックスは複雑で、逆に田舎出身でも出世コースの頂点を極めれば、江戸前とか何とか 言いながら官製国家の末端にも繋がっていない連中より遥かに上だという優越感がちらついている。柳田には、官製近代日本のヒエラルキーでは遥かに下のはずの江戸の町の 輩が陽気に振る舞っているこの「座」的な雰囲気が、耐え難いものであったことは想像に難くない。こういう人物に限って、初めからヒエラルキーを受け入れて恭順の意を 表しつつ近づいてくる人々には慈愛の眼差しを向けるのである。 》 74-75頁
《 山とか水とか題を出して、これに関する古書・物を提出するのは、江戸の物産会の伝統に立つものであることは既に説いた。集められた品は逸品揃いであった。そのたび に集められた物や古書だけで博物学の博物館が一つずつ建つくらいのものであった。 》 75頁下段
《 おそらく、柳田は定期購読者にしても、あまり気を入れて『集古』を読んだことはないのではなかろうか。そうでなければ、集古会に既に述べたような暴言は 吐けなかったと思われる。(中略)人に賞められるために出すにしては毎月集まる件数は多すぎる。かりにこのような会を今日に持とうとしても、三十年かかって一回持てるか あるいは全く不可能といえる質の高さである。一つ一つ提出される品の背景にある品が属している文脈についての知識を参加者が共有しているなどということは、 今日から考えて夢のような出来事であったのである。 》 76頁下段
畏るべし集古会。
ネット、うろうろ。
《 27日に行われた、東電の「フクイチの廃炉に向けた中長期ロードマップの改定」に関する記者会見を視聴した。
フクイチに関する年内の東電会見は全て終了。
8月から、東電の会見回数と記者の参加回数をエクセルに入力して数えるようにした。
8~12月の5ヶ月間の、記者の参加回数がまとまった。 》 春橋哲史(福島第一原発事故は継続中)
https://twitter.com/haruhasiSF/status/1210764679028473859
《 →続き2
10回(同23.8%):テレビ朝日
11回(同26.2%):木野龍逸さん
13回(同31%):毎日新聞
17回(同40.5%):河北新報
19回(同45.2%):IWJ
21回(同50%):朝日新聞
24回(同57.1%):東京新聞
31回’(同73.8%):共同通信
36回(同85.7%):おしどりマコケンさん
→続く 》 春橋哲史(福島第一原発事故は継続中)
https://twitter.com/haruhasiSF/status/1210766042630246401
《 アベノミクスの結果
MUFG 10,000人
みずほ 19,000人
三井住友 5,000人
損保J 4,000人
7&i 4,000人
そごう・西武 1,300人
日産 12,500人
東芝 7,000人
NEC 3,000人
富士通 2,850人
シャープ 7,000人
ソニー 2,000人
ルネサス 1,000人
パイオニア 3,000人
…のリストラ予定
さて儲かってるのは誰? 》 佐久間敦志
https://twitter.com/sakumasandazo/status/1210218785824624647
《 スマホは暖かい 》 ゆきちゃん
https://twitter.com/marinamiries/status/1210656878440505344