『反哲学入門』再読・三

 木田元『反哲学入門』新潮文庫2012年6刷を少し再読。

《  こんな「理性」の概念でもって、デカルトの言うような神的理性の派出所としての「理性」を理解しようとしても、できるはずはありません。
  しかし、デカルトの「理性」とわたしたち日本人の考えている「理性」の違いを意識している日本の哲学研究者はほとんどいないのではないでしょうか。 デカルトを読みながら、当然自分たちも同じ理性をもっていると思い、そのつもりでデカルトを理解しようとしているようです。 》 135頁

《 もっと簡単に言えば、結局デカルトは、わたしたち人間にあって実体をなしているのはあくまで「精神」であり、「身体」の方はたまたまくっついているだけだ、 「精神」は「身体」と実在的に区別されうるし、「身体」がなくても「精神」はそれだけで存在しうる、と言いたいのです。なぜなら、この「精神」つまり「理性」は 神の創造した実体であり、わたしたち人間のうちにあっても、いわば神の理性の出張所のようなものだからです。こうした意味での「精神」つまり「理性」としての 「私」の存在の確認が、果たして近代的自我の自覚ということになるものかどうか、わたしには疑問です。 》 152頁

 以前読んだ時、何を読み取っていたのだろうか。やはり再読は、私には不可欠のようだ。

 朝、源兵衛川の月例清掃へ。冬期水量が減って涸れる分岐する水路に水が少し戻ったらもう、ハヤの群れ。どこから来るのかなあ。本流の浅瀬に見たことのない小魚。 知人はカジカの子だと。この動きはそうだろう。一汗。
 午後、昨日の通夜に続いて告別式に参列。

 ネット、いろいろ。

《 ウチのワサビ田が世界農業遺産になりました 》 ネットゲリラ
 http://my.shadowcity.jp/2018/03/post-12873.html

《 後進の美術家たちから制作へのアドバイスを求められた際、もっとも頻繁に伝えざるを得なくなるのが「完成させない/描き切らない勇気を持て」ということ。 言い替えれば「自身にとって曖昧/意味不明な部分をあえて“そのまま”にしておく」ことの大切さ。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/972377552072265728

《  真っ暗な高速を大型の消防車が群れをなして原発、目指して走っていきました。
  政府の言う事故に対しての万全の備えとはこれなのかと死を覚悟しました。
  B29に対した竹槍と同じです。 》