「北斎と広重」

 朝、源兵衛川、下源兵衛橋上流部で草取り。近所の方から脚立を借りて石垣の上部のヒメツルソバを駆除。水辺のミントを抜く。通りがかりの奥さんからミントを 所望される。お茶にすると、一本を持っていかれる。一時間あまりで土のう袋目一杯に。きょうはこれまで。これ以上やると疲れ果てる。帰宅して汗に気づく。 コーヒーが旨い。
 昼、知人の車に同乗、熱海のMOA美術館へ。「北斎と広重 冨嶽三十六景と東海道五十三次」展を観る。北斎と広重、どちらの木版画も濃密な摺りに驚く。画集とは えらく違う。北斎を観たところでコーヒー・タイム。これが正解。知人も一休みしてよかった、と。午後四時前帰宅。ひどく疲れた気分。朝の作業が効いた。

 本棚から中野翠『ムテッポー文学館』文春文庫1998年初版を抜く。『久生十蘭傑作選』現代教養文庫についての文章から。

《 その魅力をランボーにひとことで言ってしまうならば、「お洒落」と「笑い」がしっかりと手を結んでいるところだ。これは案外に難しく、そして私の一番憧れの センである。 》 32頁

 北斎にも広重にも「笑い」があるが、「お洒落」も隠れていそう。「お洒落」は軽快でなければ、と思う。軽快を軽々しい、不真面目だと決めつける風潮が、日本には ある気がする。「笑い」も「お笑い」と、「お」をつけると蔑まれる意味合いを帯びる。「お上手」もそう。洲之内徹『しゃれのめす』世界文化社2005年初版が浮かぶ。

《 六月×日  『古典教養そこつ講座』(夏目房之介文藝春秋)をすらすらと楽しく読んだ。 》 463頁

 本棚からその文春文庫1997年初版を抜く。中野翠の解説「同士発見!」から。

《 いわゆる「目きき」「見巧者」と重なるところがありながら、やっぱり「虫が書かせた」という感じのする文章だ。つまり直観力の強い文章なのだ。 》 266頁

《  「緊張感と窮屈はちがうのである」……。
  「北斎」の章では、その腹の虫が前面に飛び出して来て、悲鳴をあげている。 》 266頁

 『古典教養そこつ講座』「第五十五講 北斎【その一】から。

《 北斎という名前は知っている、なんかすごいらしい、その程度の人たちが観客のほとんどなのである。 》 228頁

 きょうの観客はどうだったか。女性が多いと知人は言っていた。「その程度の人たち」は少なかったようだ。

 ネット、いろいろ。

《 立場上、仕方なく安倍晋三を擁護してる人たちも、「安倍晋三愛媛県知事のどちらが嘘をついているか」という二択の賭けに全財産を 賭けなければいけなくなったら、日本全国1人残らず「安倍が嘘をついている」に賭けるだろうな。安倍本人も(笑) 》 きっこ
 https://twitter.com/kikko_no_blog/status/984377514440114178

《 アベシンゾーと、その不快な仲間たち 》