『脱近代宣言』ニ

 清水高志・落合陽一・上妻世海『脱近代宣言』水声社2018年初版、第一章を読んだ。清水高志の発言を引く。

《 これまで哲学で語られてきた認識主体は、あくまでも人間の感覚器のオーダーに落としたテンソルしかなかったけど、もっと異なるものが数理モデルとしては いくらでも記述できる……。つまりこれは、拡張された知性とか主体の話をしているわけだね。 》 44-45頁

《 こうして話を聞いていると、「相転移」の話っていうのは、哲学や人類学で見られる、交差交換と呼ばれるものと近いのかなっていう感じがするね。 》  47頁

《 ところが本当のところ、文化を相対化しつつ、かつ繋いでいく媒体は人間じゃなくて、それぞれの文化で重要な役割をもっている「道具」という、「物」なんじゃ ないかと最近では言われているんだよね。 》  47頁

《 さっきの人類学の例だと、道具が布置を、布置が道具を包むようにあって、しかもその両極が多様に変わっていくといった、ジグザグの関係が生まれていた。つまり そこでは二項は背反的ではなくて、相互包摂的だったんですね。僕は人間と機械の関係とか、映像と物質の関係とかも、やはりそうあるべきだと思う。 》  54頁

《 ニ一世紀の哲学で物という主題が重視されているのも、リアリズムとか実在とは何かということが、今あらためて問われているからですよ。近代的二元論じゃない ところでそういう問題を考えようとしている……。 》 67頁

 落合陽一、上妻世海の発言も実に刺激的、というよりも蒙を啓かれる思い。清水高志、落合陽一の本で隔靴掻痒だったが、痒いところにやっと手が届く感じ。 二人の本を再読しなくては。

 ネット、いろいろ。
《  「生き物のいのちを描く〜知られざる絵師 小原古邨〜」日曜美術館
  5年前にある倉庫から偶然出てきた数百枚の木版画。明治生まれの絵師・小原古邨の作品だ。日本では無名だが、海外で人気を誇った。 日本画のような写実表現と技に迫る。 》 NHK
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2018-10-07/31/3681/1902777/

《 ある指摘に関して「自分はそうは思わない」という視点や指摘はなんとも思わないけど、声を上げることを「不寛容な人」「気に入らないものを我慢できない人」 にしてしまうのは、それこそ、「声を上げる人がいることを我慢できない人」の仕草に見える。 》 近藤史恵
 https://twitter.com/kondofumie/status/1047691707024719872

《 せめて戦艦大和内閣と呼んで見送ろうじゃないか。行ってらっしゃい。 》 津原泰水
 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1047245363436912645

《 寝るけど緊急地震速報に起こされない事を願うのみ。 》