最響の絵画

 『芸術新潮』5月号「特集 最強の日本絵画100」を再読。半年も経たずに内容を忘れていた。いやあ絵はもちろん、解説(山下裕二の対談)も興味深い。 実見した絵画もあれば、当然ながら印刷でしか見たことのない絵画もある。堀江敏幸の連載「定形外郵便 48」は「余白の按分」。その冒頭。

《 複製でしか観たことのない絵画の現物に触れたときの感情のゆらぎは、いつも複雑である。 》 11頁

 味戸ケイコさんの絵を保護ガラスを外して接したときの驚き、心の揺さぶられ方はハンパなかった。北一明の耀変茶碗を手にしたとき、小原古邨の木版画を 直に観たときも同様。
 特集の絵画を観て思った。たしかに最強の絵画だろう。強い画面の絵が多い。山下裕二「番外編 日本絵画史の息子たち」では会田誠山口晃村上隆そして 池田学の四作品が”これら4点は、間違いなく日本の絵画史に残る作品だと思います。”と結ばれている。この四点もまことに強固。すごく強いなあ、とは感じるが、 さり気なく静かに心を揺さぶる作品ではない。私に言わせれば伊藤若冲の細密画の流れの果てのような細密のくどさに身が引ける。すごい絵画なのだろう。 が、私が求めるのはさり気なく静かに心を揺さぶる作品。その山下裕二が対談で述べている。

《 僕も、愛する選外作品をふたつ挙げておきたいと思います。まずはやっぱりつげ義春です。なかでもこの「海辺の叙景」の最後の頁を挙げたい。 》 125頁

 これには賛意を表する。月刊誌『ガロ』で観たとき、心深く揺さぶられた。もう一点は赤瀬川原平の千円札、『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)』。
 「最強の絵画」よりも「最響の絵画」に私は惹かれる。「最強の絵画」群から取り出せば、まずは久隅守景『夕顔棚納涼図屏風』。
 「強」を「響」に変換したように、「最」を「差異」や「彩」、「差異響」「彩響」に変換して絵画を編集するのも面白いと思う。文学でいうアンソロジーだな。

 近くの本屋で清水高志・落合陽一・上妻世界『脱近代宣言』水声社2018年初版帯付を受け取る。
 上條陽子さんから『非思量―日中現代アート対話展』の案内葉書が届く。”先日TVで市長さんとの写っていました、見ました”。みなさん見ているわあ。
 https://www.ccctok.com/wp-content/uploads/2018/09/53513ef4dd80452c732da3ac066c77d2.pdf

《   “非思量”は禅語である。
   “身なりを整え、真っ直ぐ座り、息を整える、すると自然に「心」が整う”又は、“すべての相対的な観念を捨てた無分別の境地、座禅の要とされる”
  と解釈されているように、アート対話も国境を越え、すべての相対的な観念を捨て、アートの真髄を見つめる作品展示となっています。 》

 ネット、いろいろ。

《 ホモサピエンスは芸術的能力をもって出現した。その脳においては、線形的な「ロゴス」的能力と、全体的な把握をおこなう「レンマ」的能力が組み合わされた 複論理(バイロジック)が作動している。この事実は近代(現代)人のおこなう芸術活動の本質をも決めている。未来における科学と芸術の関係は、 この事実を抜きにして語ることはできない。/ 中沢新一「芸術のロゴスとレンマ」 》 京都賞シンポジウム
 http://kuip.hq.kyoto-u.ac.jp/ja/speakers/shinichi_nakazawa.html

《 【動画】「深海のペリカン」フクロウナギの貴重映像 》 NATIONAL GEOGRAPHIC
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/092500415/?rss