『論理哲学論考』ニ(閑人亭日録)

 ウィトゲンシュタイン論理哲学論考岩波文庫2006年11刷を少し読み進める。

《  ニ・ニニ  像は、描写内容の真偽とは独立に、その写像形式によって描写を行う。 》
《 ニ・ニニ一 像が描写するもの、それが像の意味である。 》
《 ニ・ニニニ 像の真偽とは、像の意味と現実との一致・不一致である。 》
《 ニ・ニニ三 像の真偽を知るためには、われわれは像を現実と比較しなければならない。 》

 このあたり、門外漢には絵画の見方のように誤読してしまう(のは、私だけか)。故平岡正明は、人は誤解する権利があると言った(と記憶)。

《 三・三三   論理的構文論においては、断じて記号の意味が役割を果たすようなことがあってはならない。論理的構文論は記号の意味を論じることなく立てられねば ならず、そこではただ諸表現を記述することだけが前提にされうる。 》

 抽象絵画表現のなれの果てを連想させるなあ。

《 三・三四ニ一 [記号の偶然的な側面に関わる]特定の表現方法は重要でないとしても、その表現方法が可能であること、それはつねに重要である。 》

 某造形作品を連想。それにしても、三四ニ一。自宅の電話番号じゃ。巻末の訳注を参照しながら読むのだけれど、訳注は、小さい活字の本文よりさらに小さい活字。 本文は9ポ、訳注は7ポかな。ま、裸眼で楽々読めるけど。ワイド版はないようだ。

《 (童話に出てくる二人の若者、その二頭の馬、そして[若者たちの安否を表すとされる]彼らの百合のように。それはある意味ではすべてひとつなのである。) 》

 四・◯一四から。訳注にはグリム童話の「黄金の子ども」という話。岩波文庫は持っていないが、ちくま文庫がある。第4巻にある「金の子どもたち」で読む。

《 四・一一ニ  哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
         哲学は学説ではなく、活動である。
         哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
        思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。
        哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。 》

 文学者大岡信は「理解魔」と呼ばれていた。彼の明晰な読解力には感嘆する。が、その理解の限界をぼんやりと感じることがある。しかし、その境界を闡明にできない。 非力を実感。

 真夏の消夏法。You Tubeを視聴。二つのタレント発掘番組。蝦名健一とウクライナのAnastasia Sokolova 。その超絶的な技術でダンス・パフォーマンスに新生面を開き、 審査員、観客を沸かせた。彼らの反応が始めと終わりで激変するのが、じつに面白い。
  https://www.youtube.com/watch?v=cn-NsWRtaSY
  https://www.youtube.com/watch?v=KcHAXXozU64

 ネット、うろうろ。

《  軽トラだって空を飛びたい!
  御在所は頂上に繋がる車道が無いため、車検の時はロープウェイで移動します
  職員でもめったに見れない貴重なシーンです♪ 》 御在所ロープウエイ
  https://twitter.com/GozaishoRopeway/status/1154222438944669696

《 民主党は選挙で過半数をとり政権交代を実現しないと政策も実現できないと信じて二大政党政治を約20年担ってきたが、山本太郎はたった一回の選挙で たった二議席を得ただけで国会を大きく変えた。民主主義は数の力だけではないことを実証したのだ。これこそ政治力である。 》 鮫島浩
  https://twitter.com/SamejimaH/status/1154654823930716161

《  そう。そういうこと。
  税金と予算の話から逃げてる政権に、存在理由なんてない。 》 菅野◯完
  https://twitter.com/prewarwrestler/status/1154929482458775552

《 股擦れでタマタマにできた擦り傷が少し化膿してるので帯状疱疹のついでにみてもらったら塗り薬出してくれたんだけど、 「この薬はちょっと焦げ臭いのがタマにキズなんですけどね」って言われた。え、ダジャレ? 》 階段巡りツイッター
  https://twitter.com/kaidanmeguri/status/1154933511859478530