『定家百首』(閑人亭日録)

 塚本邦雄『定家百首 良夜爛漫』河出書房1973年初版には昨日引用した”頼めぬを待ちつる宵も過ぎ果ててつらさとぢむる片敷の袖”は選出されていない。 巻末の跋には。

《 なかんづく正治建仁期の所謂「達磨歌」をつぶさに見る時、この狂言綺語こそ定家の生命であり、後年の歌論に従つて彼の歌を解釋するのは甚しい誤謬を生む因に なるであらうことを痛感した。 》 256頁

 昨日の引用の”達摩歌”は、ここでは”達磨歌”となっている。

《 缺落を埋め渇きを滿たすためには私自身が定家になり變り、みづからの作品解明を試みる以外に途がないと考へるに到った。 》 256頁

 すごい気迫だ。私には気迫が希薄。

 きょうも十時間睡眠。

 ネット、うろうろ。

《 シャーマンとは何者か /福 寛美 》 トイ人
  https://www.toibito.com/column/humanities/folklore/1929

 のっけから藤圭子。久しぶりにLPレコードを出す。ファーストアルバム『新宿の女』RCA。漆黒の情念の弾丸に撃ち抜かれ悶絶。深酔いしそう。

《 これにはさすがに違和感があります。学生時代「反対」と言っていた団塊の世代の人たちが、社会人になって従順になり長いものにまかれた結果が、 今の社会と思います。 》 Koichi Kawakami
  https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1167657516911611909

 これにはさすがに違和感がある。1970年前後、団塊の世代の何割が反対(反体制)を叫んでデモなどをしていたか。その世代の二割を超えないというのが、私の見方。 他の八割以上は傍観者、ノンポリ(政治に無関心)層。反体制の活動が目立っただけで、団塊の世代の多くの学生は、就職は東証一部上場企業を狙っていた。私は彼らを 無縁な人たちと見ていた。大学生よりもはるかに多い同世代の高卒中卒の人たちを視野に入れていた。

《 もちろん、芸術において現実の諸問題を取り扱うとはどういうことか?にまで、批判的に思考が及ばなければならない。自分の足元を掘り崩していくような 思考でなければ思考とは呼ばない。 》 大野左紀子
  https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1168341752542982144

《 【悲報】安倍自民批判ツイートに対してTwitter社による凍結、削除報告が相次ぐ【言論弾圧】  》 NAVER まとめ
  https://matome.naver.jp/odai/2156285425002522201

《 自分の身体の奥深くに浸み込むことで生まれた言葉は、他人の身体にも浸み込む。/内田樹「Voiceについて」 》 内田樹の研究室
  http://blog.tatsuru.com/2019/09/02_1348.html

 藤圭子『新宿の女』への批評のよう。