『考える人』二(閑人亭日録)

 坪内祐三『考える人』新潮文庫2009年初版、後半を読んだ。幸田文の章。

《  けれど幸田文は違いました。
  幸田文は、当時、既に過去の作家でした。 》 174頁

《  だれも予想できなかったでしょう。幸田文がこのように再評価されることになるとは。
  いや、それは再評価ではありません。
  幸田文は新評価されたのです。 》 175頁

 再評価ではなく新評価。これは使いたくなる。小原古邨、北一明、審美書院・・・味戸ケイコ。
 植草甚一の章。

《 つまり、その文章が単なる文章ではなく、実体を持ってどのように迫ってくるのでしょうか。 》 201頁

 吉田健一の章。

《 が、ここで私が問題にしたいのは、吉田健一が、ある種の人たちから、馬鹿だと思われていたことです。 》 213頁

 おお、昨日書いた「第一印象は相当〇〇らしい。」だ。

 吉行淳之介の章。

《   この「考える人」は単なる作家論や人物論ではありません。
  「考える人」としてのその人を考える論考です。
   そのための作業として、私は、それらの人の作品を読み返して、彼(彼女)らのキー・コンセプトをつかみます。 》 250-251頁

 須賀敦子の章。

《 偶然の問題に関して、『トリエステの坂道』(須賀敦子の著作の中で私はこの作品集が一番すきです)に収録された「ヒアシンスの記憶」の中に興味深いエピソードが 描かれています。 》 275頁

《  『トリエステの坂道』の巻末に、「古いハスのタネ」と題する断章が残っています。
  不思議な文章群です。何度読み返しても、私はそれを、理解出来たとは言えません。 》 278頁

 『トリエステの坂道』は『須賀敦子全集第2巻』河出文庫2006年初刊、2009年3刷に収録されているが、「古いハスのタネ」はない。『第3巻』2007年初刊、2009年2刷に あった。

《 「新潮」一九九六年一月号 新潮社。のち新潮文庫トリエステの坂道』(一九九八年九月一日)に付録として採録。 》 解題 638頁

 『考える人』読了。明日は「古いハスのタネ」を読むか。

 ネット、うろうろ。

《 面白い例をありがとうございます。海辺で拾った貝殻をどう捉えるかですが、「貝殻がある」と考えると貝殻の「存在」が前面にでます。「貝殻を認識する」 と考えると貝殻が「対象」であることになります。また、それとは別に、貝殻を「所与」、つまり与えられたものとして解釈することもできます。 》 岩野卓司
  https://twitter.com/MXUPyL7gHGF6naa/status/1222212731048054784

《  【アベノ童話1】

  安倍晋三
  「おっ、変わった馬がいる。ツノが生えてるぞ」

  西村官房副長官
  「総理、あれは鹿ですよ〜」

  安倍総晋三
  「えっ馬だろ?」

  菅官房長官
  「間違いなく馬です」

  麻生太郎
  「どう見ても馬じゃねぇか」

  西村官房副長官
  「すみません、馬でした」 》 Dr.ナイフ
  https://twitter.com/knife9000/status/1018780975931711488

《  「アベソーリは死亡したが亡くなってはいない! 故にこのまま総理の座に!」(歴代最長記録絶賛更新中)
  をアンドロイド・ガースーが閣議決定 》 芦谷 佳介
  https://twitter.com/ashyunya/status/1223102078337216516

《  近未来SF
  安倍総理「あの、あのですね、私はですね、まさに、あくまで、あくまで亡くなったのでありまして、し、死亡はしていないのであります。」
  質問議員「総理、総理。いいですか?亡くなるの『亡』は死亡の『亡』ですよ。もう一回ききますが、なんで亡くなっても総理大臣やってんですか?!」 》  ささきりょう
  https://twitter.com/ssk_ryo/status/1223118717011128325

《 編集者の友人がひどい誤植で刷りなおしになって落ち込んでいたので、「下には下がいるから大丈夫! ぼくは死刑囚が出した最後の本のタイトルを誤植したことがある」 と言って慰めた。 》 綿野恵太
  https://twitter.com/edoyaneko800/status/1222709647980711937