『 性の歴史 IV 肉の告白 』四(閑人亭日録)

 ミシェル・フーコーフレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「第三章 結婚していること」前半「1 夫婦の義務」を読んだ。

《 古いキリスト教において、結婚に関する論説は、処女・童貞性に関する論説がそこに見いだされるのと同じようなやり方では見いだされない。結婚生活は、 処女・童貞性とは異なり、それを種別的な実践とし、特別の霊的意味を備えた「役儀」とするような、練り上げの対象ではないということ。 》 335頁

《 結婚しているキリスト教徒を、その結婚生活において、そして夫婦としての関係において導くための考察やテクストが発達するのは、とりわけ四世紀末のことである。  》 336頁

《 結婚の道徳の核心にあるのも、あらゆる結婚の絆を放棄した人々における修練の手続きの核心にあるのも、情欲であるということだ。情欲は、結婚状態の諸規則と、 処女・童貞性の役儀のテクネーにとっての、共通の対象なのである。 》 361頁

《 すでに見たとおり、処女・童貞性が、勧められるべきものであり、決して掟とされるべきものではなく、それを義務とすることは論外であるのに対し、結婚の方は、 処女・童貞状態の完徳に達することのできないすべての人々にとっての義務である。結婚はそれ自体として一つの法なのだ。 》 361頁

《 そしてそうした結婚生活の技法は、節欲生活の技法と同じ問題、すなわち、生そのものと切り離すことのできぬ闘争のなかでどのようにして情欲を管理し、それと闘い、 それを打ち負かせばいいのかという問題を中心として整えられるのである。 》 370頁

《 修道生活の技法と結婚生活の技法とのあいだの対称性を過大評価してはならない。それらのあいだにはもちろん無数の差異がある。そして情欲というテーマそのものに 関しては、以下のことをしっかりと確認しておかねばならない。修道制における修練は、自己に関する恒常的監視、自分自身の秘密の解読、心の深みの際限のない捜索、 自己自身に対する幻惑や誤りやごまかしでありうるものの解明といった実践を生じさせることになる。これに対し、結婚生活の掟は、真理陳述よりもはるかに法陳述の形態を とることになり、そして負債のテーマが、絶えざる規範設定の作業と法解釈をめぐる長い考察を生じさせることになるのである。 》 371頁

《 結婚という二人から成る形態においてさえも、根本的な問題は、自分自身の情欲をどうすべきかという問題である。それは、したがって、自己の自己に対する関係 なのだ。そして、夫婦の性をめぐる内的法権利は、まず、自己の自己に対する根本的関係を、他者を通じて管理するための一つのやり方として組織されたのである。 》   372頁

 朝、源兵衛川中流部、下源兵衛橋下流の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。重くなったので終了。帰宅。汗。コーヒーが旨い。

 ネット、うろうろ。

《 ドイツの租借地だった青島市の喫茶店で働いてたユーハイム氏が日本軍の捕虜にされて日本に連れてこられ、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)で バウムクーヘンを売ったのが3月4日で今日は「バウムクーヘンの日」だそうなんで歴史の重さとバウムクーヘンかみしめたい。
  あと大河ドラマにしてほしい。 》 松田洋子
https://twitter.com/matuda/status/1367390184723992585

《 本当に単なる腐敗国家になってしまった……。 》 津田大介
https://twitter.com/tsuda/status/1367117297475670017

《 アニメ評論家・藤津亮太会田誠の「戦争画」に見出したもの。なぜ『アニメと戦争』の装丁は「戦争画RETURNS」になったのか 》 美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/23672

《 5度見ぐらいした 》 こなき
https://twitter.com/kanningshine/status/1366012747113066502