昨日の西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』新潮新書2012年初版で、ピカソとは別に印象に残った箇所。
《 パソコンで見る画像の特徴は、それがすべてピクセルつまりは画素という極小の正方形のユニットで形成されていることにあります。(引用者・略)柔らかな女性の肌も 金属製の機械の細部も、拡大するとすべて同じ四角形の画素で構成されているのを目の当たりにすることになったからです。
カラー印刷のアミ点にも似た感覚はあります。(引用者・略)たった四色の網目状の点が重なり合っているに過ぎないことには少なからぬ驚きがあります。
こうしたピクセルやアミ点の効果には、複雑で多様な現実の混沌とした様相が、均一の要素によって描き直されることで生じる独特の秩序感が伴っています。 》 129-130頁
《 パソコン画像のピクセルやカラー印刷のアミ点が、画像に機械的な技術処理の介在を刻印しているように、セザンヌは、画面に人間的な芸術表現の介在を刻印してみせた のです。 》 130頁
私が雑誌『国華』や審美書院の美術本に収められた古典絵画の複製、極精細多色摺木版画に魅了されるのは、上記ピクセル、アミ点の画像に満足感を得られないことの反映 といえる。いくら新技術の複製であっても、明治後半の複製木版画と並べてみれば、違いは一目瞭然。技術が新しければいい、というものではない。
《 こうして、後進の画家たちに熱狂的に迎えられたセザンヌの手法の最大の革新性は、絵画を「意味」というものから解放した点にありました。
リンゴと人物のように、人間にとって異なった意味を持つ対象を、同じタッチで描くことによって、絵画の主眼を「意味」の伝達から、形状と色彩という「造形」の 表現へと移行させた点にあります。 》 131-132頁
この記述から複製木版画への新しい視点、評価が得られる予感がするが、今はまだ不明。
九月。やっと涼しくなる。夜、夏を叩きつける激しい雨。
ネット、うろうろ。
《 いやー過ぎ去ったな、夏も展覧会も。毎度ながら寂しいもんだな… 》 会田誠
https://twitter.com/makotoaida/status/1432959809800658949
《 今年も含め五年連続で、前任の都知事が毎年送付していた「関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺の犠牲者への追悼文」を送付しない態度を貫いている小池百合子都知事。 それの何が問題なのか、こちらのまとめで説明しています。
人命軽視が小池都知事の一貫したポリシーである模様。 》 山崎 雅弘
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1432989065985413120
《 基地反対運動番組の名誉毀損認める 》 KYODO
https://nordot.app/805613628736094208
《 音楽のチカラで、とか、美術のチカラで、と言う人たちは、それを生きていないから言うのであって、それを生きている人たちには「それを使って」という発想 そのものがない。でも、それを生きていない人たちは、生きている人たちもまた、「そのチカラを信じて」やっているにちがいないと、信じている。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1432921780084097028
《 本日締め切りの私、ビビりましたw この帯いいなあ。 》 たちはら とうや
https://twitter.com/ttouya/status/1432517678795689987