『鈴木大拙』三(閑人亭日録)

 竹村牧男『鈴木大拙創元社2018年初版を少し読んだ。

《 大拙は、華厳宗の「事法界(じほっかい)・理法界(りほっかい)・理事無礙法界(りじむげほっかい)・事事無礙法界(じじむげほっかい)」の四法界における 事事無礙(じじむげ)という思想を、大乗仏教の精華であると見ていました。 》 115頁

《 しかし大拙がもっと評価・尊重していたのは、『華厳経』そのものでした。そこには、教理的に整理される以前の、霊性が躍動する世界が語られているからです。 大拙は、その生きた霊性にふれることこそもっとも重要なことであると考えていたのです。 》 115頁

《 事事無礙法界では、自己とあらゆる他者とが融け合い一体である姿がみられます。そこから他者の苦悩を自己の苦悩とし、他者のためにはたらこうとする意思が 出てきます。大拙はここに大乗仏教の根本をみているのです。 》117頁

《 一般に禅者は、仏(ぶつ)・祖(そ)をも否定し、絶対主体道を生きるものでしょう。しかし大拙は、禅者であるにもかかわらず、祈りを否定はしませんでした。 人間、ある状況の中において、何とかしたいと思わずにはいられないときもあり、その際には祈ることもおのずからの行為であるというのです。 》 119頁

《 特に大拙は、華厳のあらゆる「事(じ)」が互いに関連しあっているという「法界縁起(ほっかいえんぎ)」の見方を重視していました。 》 135頁

《 この際、重要なことは、たとえ説明を「事事無礙法界」の論理に基づいて行っているとしても、その根本に仏の大悲(だいひ)がはたらいていることを見失わないこと です。 》 138頁

《 仏教では、「初めにロゴスありき」ではなく、「初めに大悲ありき」なのです。 》 140頁

 友だちの本棚に山口小夜子『小夜子の魅力学』文化出版局1983年3刷を見つけ、返してもらう。誰に貸したか忘れていた。再読したかった本。やれやれ。
 昼前、知人が借りた本を返しに来る。こんな小説本を借りてったのかあ。友だちと三人で下の店でラーメンで昼食。食後、彼は借りたい本を探して本棚をじっくり探索。 山本周五郎から内外のミステリまで十冊ほどを選ぶ。返さなくていいよ、と伝える。本は減らさなくては。読みたい人に行かなくては。午後、仕事を終えたカミさんが車で 迎えに来る。それにしても、あの本この本、忘れていたわ。

 ネット、うろうろ。

《 あのあたりに重ねてある新訳アリストテレス全集の某巻を探すために部屋を片付けるよりも、図書館に借りに行った方が早そうだというのは、何たる本末転倒だろう。 情けないし腹立たしい。7年前に拙ブログにアップしたその巻の写真をじっと見つめる。広い図書室のある居宅に憧れて幾星霜。諦めたくない。 》 ウラゲツ
  https://twitter.com/uragetsu/status/1439473834231406592

 

《 首相のモリカケ桜はお咎め無しでも共産党議員の田舎線路横断は書類送検日本スゴイ。 》 清水 潔
https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1439247458215727114