『唯識・華厳・空海・西田』再読(閑人亭日録)

 竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年4月30日第1刷発行を少し再読。「はじめに」から。

《 密教は他の仏教を顕教と呼んで、自らの思想はどの顕教よりもはるかに優れていると主張する。しかし特に華厳思想の影響を強く受けていることは否定できないことであろう。前にもふれたように、「重重帝網のごとくなるを即身と名づく」とあるのは、まさに華厳思想に拠ったものである。その「即身」すなわち自己は曼陀羅そのものと言えるが、曼陀羅は華厳の重重無尽の縁起をなす事事無礙法界の事を、人(にん)において捉え直したものと言うことができると考える。事とは、刹那刹那の識とも言えて、それは主客相関ののただなかであり、ゆえに人でもある。華厳の事事無礙法界は、密教において人人無礙の曼陀羅に立体化されたと見ることは十分、可能であろう。こうして、華厳と密教とは、かなり同質の見方を共有している。空海の思想は、その曼陀羅世界に極まるであろう。 》 18頁

《 こうして、唯識の事的世界観から華厳の事事無礙法界へ、そこから空海の人人無礙の曼陀羅へ、さらにそこから西田の「超個の個」にして「個は個に対して個」であるという「個物の哲学」へと、これらの思想は関連し合い、つながり合っていることを見ることができる。あるいは日本中世の英邁な仏教者・空海と、近代日本の強靭な哲学者・西田幾多郎とは、実はひそかに巨人同士、共鳴しあっていると思われる。私は、こうしたことを本書において多少なりとも明らかにしたいと思ったのであった。 》 19頁

 ネット、うろうろ。

《 法や制度、倫理、権利の問題等には様々なパラドックス、ジレンマがあり、それが近代そして20世紀を通して複雑に変奏されてきた。生活を「改良」する知性があればいいのではない。根本的に、社会には解けない問題が複数ある。解けばいいのではなく、真に解けないのだ。その経緯を知ることが教養である。 》 千葉雅也 Masaya Chiba
https://twitter.com/masayachiba/status/1673278470829514753

《 『(裁判長が)黒塗り部分のないものの提出を命じた。しかし被告側は応じていない』
  『裁判長は「証言を正当な理由なく拒絶すると、反対当事者の主張が真実と認められる」と述べたが、それでも社長は投稿者名の開示を拒否する意向を示した』 》 武田砂鉄
https://twitter.com/takedasatetsu/status/1673483856551489536

《 そんなにバレたらまずいのか。裁判に敗けてもいいくらいに。ますます真相を知りたいもんだ。 》 柏尾安希子(神奈川新聞記者)
https://twitter.com/KJvdcYYG7rONyUl/status/1673324570491883520

《 あのまま民主党政権だったら

  少なくとも統一教会がここまで政策に影響しなかったのでは?

  同性婚を認める法改正があり
  選択制夫婦別姓も導入され
  入管法が改正され、ウィシュマさんは死なず
  モリカケサクラもなく
  統一教会名称変更もなく
  放送法解釈変更もなく
  赤木さんが亡くなることもなかった 》 ふっちゃん
https://twitter.com/ashitawawatashi/status/1673203099996131331