『森は考える』十(閑人亭日録)

 エドゥアルド・コーン『森は考える  人間的なものを超えた人類学』亜紀書房2016年3刷、「第六章 生ある未来(と軽くなった死者のはかり知れない重さ)」を読んだ。 難解、私には。メモ。

《 あらゆる自己がそうであり、単に人間的な諸自己だけが諸々の〈私〉であるわけではないため、アムはまた、動物の主観的な視点を表す。 》 350頁

《 アムという単語は、特定の身体的な特徴、そして権力の階層性における特定の位置を備えた特定の民に対する歴史的な連想を失うことなく、(実際にはこれらの蓄積 された関連のために)あらゆる自己の視点をしるしづけるようになった。この諸自己の生態学において、生きている〈私〉、自己なるもの、あらゆる自己──自己の資格 ──はアムである。自己は、定義によれば主であり、ゆえにある種の「白人」なのである。 》 351頁

《 親密さと分離のあいだのこの関係について、私がいわんとすることを説明したい。〈私〉と「言う」ときにルナはアムであるということ(そして、それらはまた、 ある常に既にそうである領域に住まうあれらのアムに対して、ある親密だが分離した、そしてときおり従属した関係にもあること)は、自己を分布させ、そして、自己の 連綿と続く例化から引き離す、分裂という苦悩を記しているのである。 》 353頁

《 アーバンは、そこでは自己が系統でもあるような、この特別なたぐいの自己参照を、「投影的な〈私〉」と呼ぶ。投影的であるのは、「過去の諸々の〈私〉」を身体化 することで、話者は彼の自己の「連続性」──より一般的な諸自己の「創発的」な系統の一部となった自己──を具体化するようになるためである。彼の〈私〉はひとつの 〈私たち〉になる。
  アムは、この「投影的な〈私〉」について何か重要なことをとらえていると言えないだろうか。それは、連続性のうちにある自己──「規定されない可能性」を備えた、 ある〈私たち〉──を指示する。この連続性は、単に先祖へと遡及するあだけではない。それは未来に向けても投影する。そして、それはいかに〈私〉は〈私でないもの〉 ──生きているルナたちでありかつルナではない、白人や精霊、そして死者たち──に構成的に関係するのか、ということについての何かをとらえている。 》 354頁

《 ゆえに全ての記号過程は、未来を創造する。これは、自己の特有のことである。(引用者・略)つまり、生命のない世界とは対照的に、自己の領域においては、現在に 影響を与えるのは過去だけではない。本章の冒頭で論じたように、未来は再=現前されるので、それはまた、現在に影響を与えるようになる。そして、このことが、自己と いうものの核心にある。 》 355頁

《 全ての自己は、この「生ある未来」を分かちあう。アヴィラ周辺にあるような、新大陸の熱帯林においては、生物界においてこれまでなかったほどの度合いで、 記号論的な習慣が増殖し、そしてその過程において未来も増殖する。人間──ルナとほかの人々──は、森に入り、そこにいるいくつもの存在と関わりあい始めるとき、 こうしたものに踏み入っている。
  それでもなお、人間が創造するたぐいの未来は、そうしたひとつの未来が収められた象徴的ではない記号論的世界を特徴づけるいくつもの未来に関連して、創発する。 ひとつひとつのイコン、インデックスのように、ひとつの象徴が、記号として機能するためには、生まれ出るだけの力を持った未来の記号によって解釈されるように ならなければならない。しかし、加えて、ひとつの象徴は、まさにその質のために、未来の記号に依存する。 》 356頁

《 イコン、例えばキチュア語の「ツプ」という音響的イメージは、水に──ツプと──飛び込むものが現存しなくとも、あるいは、そのような飛び込む存在がたてた音の ように解釈されるかどうかにかかわらず、それを意味あるものにする音質を保持しているだろう。インデックスを意味あるものにする質は、その指示対象とのあいだの 何らかの相関関係に依存しているにもかかわらず、イコンのように、インデックスは記号として解釈されなかったときでさえその特徴を保持している。 》 357頁

《 この未来にあることの論理を、あらゆる記号論的生命の中心にあり、同時に人間的な象徴的記号過程によって、別のものにも変えられてしまうものを、霊的な主たちの 領域が増幅する。 》 357頁

《 アムとは、大部分が人間的ではない、成長するひとそろいの未来を=つくる=習慣に満ちた諸自己の生態学において、自己であることが植民地的に屈折された特定の あり方である、と言うことができるのではないか。その過程で、アムが見せるものとは、生ある未来がそれ独自の特性の一部を生命にいかに与え、そして、ある動態が過去を いかに含む(だが過去に還元されることのない)のか、ということである。(引用者・略)主たちの霊的な領域は、生命そのものよりも「さらに」未来にある。精霊の 領域は、この生ある未来の論理を増幅させ、一般化する。さらに日常におけるひとつの政治的かつ実存的な問題に影響を与える。すなわち、生存である。 》 358頁

《 全ての記号には、今ここにないものとの関係が含まれる。イコンは、その存在にとって根本的な仕方でこのことを行っている。(引用者・略)対照的に、インデックスは、 現在の状況における変化──私たちが注意を払うべき何か別のものがあること(もうひとつのたぐいの不在)──を指差する。象徴はこれらの特徴を取りこみはするが、 特別な方法で行う。つまり、象徴は、ほかの象徴を意味するものとする、いくつもの象徴からなる不在の体系に対する関係を経由して表象する。 》 365頁

《 精霊がいかに独自なたぐいの実在であるのかを見定めることは、それを超えて広がるものとの関係において人間的なるものに注意を向ける能力を持とうとする人類学にとって重要なことである。 》 374頁

《 生ある自己が未来を創造する。人間的な生ある自己は、より一層多くの未来を創造する。主たちの領域は、人間的なるものを超えた世界に生きるための人間的な方法から創発することで生じたものである。 》 375頁

 昼前、源兵衛川中流部、源兵衛橋上流で茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。ついつい拾い過ぎて重くなる。帰宅。一汗。くた~。コーヒーが旨い。ふう。

 ネット、うろうろ。

《 敵基地攻撃能力保有を検討する有識者からの意見聴取。議事録も資料も公表せず。予算委員会で開示を求めたが政府は拒否。
  「有識者」というが、専守防衛を改めよとか非核三原則は見直すべきなどと主張する方がずらり。
  憲法から逸脱する議論を秘密裏に進めるなど許されない。 》 山添 拓
https://twitter.com/pioneertaku84/status/1505718146338017283

《 自民党高市早苗氏などが主張してる先制敵基地攻撃能力って、ウクライナ東部の共和国を守るためにロシアがウクライナ全土の空港や軍事施設や敵が潜んでるかも しれない民間住宅を爆撃して避難民を何百万人も生み出してるあの攻撃のことだよね? 日本に必要なのか?いつの日か本気でやるのか? 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1505803839437668361

《 万が一、日本が核共有することになっても、東京には置かないだろう。戦後、米軍支配下の沖縄に核を置かせ、復帰後も有事に持ち込ませる密約を結んで、 枕を高くして寝ているつもりになってきた。危険なだけでなく、どこまでも身勝手な暴論。「議論」はただ単に有害だ。 》 阿部岳 / ABE Takashi
https://twitter.com/ABETakashiOki/status/1505708531705872384