木葉井悦子、上條陽子(閑人亭日録)

 資料によって途切れ途切れの記憶が繋がることがある。木葉井悦子画集『うみはぎなみほどき』トムズボックス1993年11月1日発行に収録された絵は、1986年3月29日~ 1987年4月17日に描かれたもの。昨日の記事、木葉井悦子展は1988年2月22日から開催。案内状の作品目録では1987年と1988年の作。つまり、『うみはぎなみほどき』の後に 描かれたもの。『うみはぎなみほどき』は『耳界』に続く異界のような異様な世界が描かれている。心を病んでいる人の描いた絵のよう。新作を前にして 「病み上がりの絵ですね」と木葉井さんに感想を述べたのは的を射ていた。
 あくる1989年の夏、六本木のギャラリーでの画家たちの展覧会で木葉井さんが私を上條陽子さんに「種村(季弘)さんのお友だちよ」と紹介したら、上條さんは『上條陽子 画集』PARCO出版局1989年5月26日第一刷をくださった。定価3500円分のお礼をしなくっちゃ、と三日かけて感想を書き上げて郵送。内容は記憶にないが、 詩人・天沢退二郎の推薦文に違和感を覚えて彼とは違った視点から書いた。彼の文章の冒頭。

《 この人間たちはかなしいのである。
  かなしいのは言葉がないからで、それゆえ「かなしい」という言葉さえないから、だからかなしいのだ。
  かなしいのは黄土色だからでもある。 》

 九月だったか、上野のギャラリー・ニキでの上條陽子個展へ行くと、私の下手な字の手紙のコピーを配っている! ビックリ。
 ウェブサイト、「上條陽子作品より」の二枚目『赤い花』が、画集の二枚目にあった絵。渋谷パルコでの個展は悪評ばかりで一枚も売れなかったと言う。何故?とこれを 購入。
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo.htm
 その後書いた文が「上條陽子の転回-玄黄から天地へ」。
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo3.htm
 そして2002年に企画展「記憶の塔」2002年6月2日(日)~7月21日(日)。
 http://web.thn.jp/kbi/kioku.htm
 「記憶の塔ー上條陽子の箱」。
 http://web.thn.jp/kbi/zakki3.htm

 ネット、うろうろ。

《 全く新しいことを始めてから完遂させるのには10年は必要。30歳までは勉強と考えれば、人生でその人が出来ることは2つか3つが良いところ。 そのうち1つでも失敗すれば残り1つか2つ。人生は最大のギャンブルだよ。 》 m-take
https://twitter.com/takeonomado/status/1527000526545731589

《 4630万円事件は、極端な公務員削減はおかしなことになること、カジノは短期間で大金をうしなうことを示した。この2点を政策として主張している政党に投票はしない ほうがよいだろう。 》 Noby Esperanzo
https://twitter.com/noby_esperanzo/status/1527055025453015040

《 知らない人多いと思うけど、30年ちょっと前くらい前までかな?郵便局に定額預金っていったっけ。定期預金みたいなものに預けたら10年経ったら倍になってたんだよ。 社会福祉も無料だらけだったんだよ。もちろん介護保険料なんて無いし消費税もない。年金だって普通に暮らせる額だったんだよ。 》 風音・市井の声
https://twitter.com/kazaneimakara/status/1526925314877599744

《 「聴こえざるを聴き、見えざるを見る」|清水高志×松岡正剛|『続・今日のアニミズム』|TALK❷|前編 》 DOZiN
https://hagamag.com/uncategory/11043