『生の昂揚としての美術』三(閑人亭日録)

 大岡信『生の昂揚としての美術』花神社2006年4月25日 初版第1刷を読み進める。

《 「パリ「前衛芸術の日本展(一九一○ー一九七○)」は一九八六年十二月九日から八七年三月二日まで、パリのサントル・ポンピドゥー美術館で開かれている。 》 「パリ「前衛芸術の日本展」印象」158頁

《 当然のことで、彼はパリジャンだから、日本近代史において「前衛芸術」がいかに孤立した苦闘を強いられたか、なんてことに関心を抱く必要は少しもないのである。 》 同 161頁

《 前者は「模倣? しかり。だが……」という。後者は「模倣? しかり。それゆえに……」という。 》 同 161-162頁

《 またここに洩れた作家たち──「運動」に加わらず、独立の立場でやってきた作家たち、また陶器その他の分野の作家たち──の中に、充実した仕事をした人々が少なくないことも忘れてはならないだろう。 》 同 164頁

《 私は駒井が私の詩を使ってどのような作品を作ったのか、こわごわと見て、一目で見とれてしまった。二点とも実に小ぢんまりしたサイズだった。十✕十二センチ。 》 「五○年代の駒井哲郎と伊達得夫、そして私」167頁

《 一枚の絵、それは貴重なものだ。だが、それは何ものか、より大きなものへの通路であり、扉であるがゆえに、貴重なのであった。さもなければ、絵とは、色のついた油っぽい物質が塗られている布切れにすぎなくなってしまう。 》 「津高和一」 173頁

《 絵は、はたして眼で見るものなのか、それだって怪しいものだ。だって、画家は絵を眼で描いたのか? 》 同 175頁
 津高和一
 https://jmapps.ne.jp/otanimuseum/sakka_det.html?list_count=10&person_id=193

 昼前、源兵衛川中流、下源兵衛橋上流の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。心地よい川風。重くなって終了。自転車の荷台に載せ帰宅。汗~。やれやれ。

 ネット、うろうろ。

《 おはようございます😊 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1651327289307852800

《 階段コレクション 》 東京階段学会調査部
https://tokyostairs.web.fc2.com/

《 『武器としての国際人権』を読むと国連の特別報告者からの勧告がどれだけ重いものかがわかる。日本はそれを放置、または抗議をするという国連加盟国(条約締結国)としてありえない態度を取っていることを知ってほしい。みんな日本が国際社会で認められるの好きじゃん!!その反対をやってるんだけど。 》 会ったことない人(yuko)∞🏳️‍⚧️
https://twitter.com/hirune_wiz/status/1651367402242969600

《 「任意」という法の趣旨さえ捻じ曲げ、マイナンバーカードを事実上強制する為の健康保険証廃止法案も、難民条約の義務もロクに果たさないまま、あろう事か難民申請に回数条件を付け「強制送還」という入管法改悪案も、人間の「命」を弄んでいる点で一致している。岸田政権の暴力性は想像を絶する。 》 異邦人(入院療養中)
https://twitter.com/Narodovlastiye/status/1651350980607504385

《 現状のように賠償責任に上限を設けて残りを政府が持つなら、どうせ失敗する。
  無制限の賠償責任を第三者機関に持たせようとするなら、引き受ける機関が見つからない。 》 🌸 中谷康一 Koichi Nakatani
https://twitter.com/knakatani/status/1651494938931257344

《 第三者機関が運営不可能なものを天下り利権の維持のために続けるとか、日本の官僚も原発同様に腐って底が抜けてますね。 》 m-take
https://twitter.com/takeonomado/status/1651521956695666691