『美をひらく扉』二(閑人亭日録)

 大岡信『美をひらく扉』講談社一九九二年四月一日 第二刷を少し読んだ。「フォーヴ──想像的なる想像力」。

《 ここでデュフィが、「デッサンと色彩のうちに表現された創造的な想像力の奇跡」といっていることは、簡潔で含意あるマティス評であると同時に、デュフィによって理解され、やがて彼自身もその道を歩むことになる、フォーヴィスムそのものの定義だったと考えていいだろう。そして、デュフィがここで、色彩とともにデッサンをあげていることは、やはり見逃すことができない。 》 60-61頁

《 色面構成の微妙な処理ということを含めて、デッサン、つまり慎重な形態把握の支えが、色彩の危機的な高まりののちに予想される反落を、未然に防ぎ、色彩のさらにいっそうの純化、昂揚を助けたと、マティスおよびデュフィの場合についていうことができるだろう。 》 61頁

 このくだりを読んで、パソコンの左の壁に立てかけてある上條陽子さんのサムホール(22.7×15.8cm)の絵に目を向けた。三十年あまり前、銀座の某ギャラリー開廊記念展で初めて購入した上條さんの『歓』という題の絵。ダイナミックな筆触の表現主義的な絵というか。乱暴でも乱雑でもない。人の動きがいくつも重なって、乱舞というか。が、乱れてはいない、見事な動態、構図。なぜ惹かれるのかずっと不明だったが、この文章で理由に思い当たった。この絵はネットにはあげていないが、他の絵を参考に。
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo.htm

 ネット、うろうろ。

《 絵画(に限らないが)を描いたり観たりする際のポイントの一つに、部分と全体との関係がある。全体があっての部分という観点では、全体は捕捉できず見限られてしまう。全体に先んじて部分があり、各部分はそれぞれに「全体を表現している」ことによって、それぞれに「部分であること」を具現している。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1653346845190672387

《 主義主張の純粋化には常に誤謬があるというのが、僕の基本的発想。 》 千葉雅也 Masaya Chiba
https://twitter.com/masayachiba/status/1653560903202381824

《 主義主張を純粋化しようとするのは主体を安定化させるためで、だからそれは「弱さ」を示している。しかし基本的に誰にも弱さがあって、ゆえに何らかの純粋性を求めるので、必要な社会的方策としては、ある種の純粋化が他の純粋化に対して敵対関係を強めすぎないようにすることなのだろう。 》 千葉雅也 Masaya Chiba
https://twitter.com/masayachiba/status/1653561716222070784

《 五類への変更で被害が減るのなら、
  根性と書いた紙張ればガス欠の戦車も動くだろうて。 》 オヒョウ@2023=漫画280/文字本211
https://twitter.com/griffons_11/status/1653342398741905409

《 【「丁寧な説明が求められる」って、丁寧に説明したら問題が解消する訳じゃないから、説明してもらっても意味ない】

  ご指摘の通りです。自民党政府の言う「丁寧な説明」とは「対話を拒絶して一方的に政府側主張を繰り返す行為」。

  それをそのまま書くのは欺瞞への加担です。 》 山崎 雅弘
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1653398733042905089

《 なかなかできることじゃない…

  「夫は結婚するまで収入の半分を方々に寄付したりして税金もあり、貯金は億どころか全然なかった。身の丈以上の幸運は感謝して還元すべきと思ったからと」

  ➡️羽生善治 10年で億単位の寄付、『ビッグイシュー』も支援!…https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2178934/ #女性自身 @jisinjp 》 岸原さや🌿🕊NO WAR
https://twitter.com/sayasaya777/status/1653215893240049664