『空海論/仏教論』六(閑人亭日録)

 清水高志空海論/仏教論』以文社2023年4月20日 初版第1刷発行、 後半の「第二部 『吽字義(うんじぎ)考』」を少し読み進める。

《 阿字の真義について語る空海の雄弁は、融通無碍でとどまるところを知らない。八種旋転、十六玄門はただの列挙、分類ではなく、まさに生きた方法論として躍動しており、彼はたとえば「一字と一切字」のような「一と多」という二項対立のヴァリエーションがあるところに、自心、すなわち「一つの識(心)」といったものを周到に紛れ込ませてくる。──この識(心)はまた、さまざまな対象世界(器世界)の総体との対で考えられるべきものでもあるが、いったん「一なるもの」が「識」でもあるということになると、おのずと八種旋転の論理の流れに乗るように、自心を如実に知ることがすなわち一切智智なのだ、という風にそれが世界総体の規模に拡張される。あらゆる二項対立が、一項から他の一項へと自在に変化し往きかい、そのある項を軸にまた別の二項対立に置き換わっていくさまは、何か未知な生物が呼吸する姿を観ているようだ。
  そしてそもそも、哲学というものは、本来的にそうしたものでなければならないと、実はわたしは考えているのである。 》 192-193頁

 以下、具体的な解説(解釈)が展開される。「15 一心の虚空」「16 自受法楽」と、じつに興味深い。再読を重ねてなんとなくわかったような気になる。気になるが、どこを切り取って引用(紹介)しても、中途半端なものになってしまう。

《 報身の「自受法楽」をこのような構造によって描きだしつつ、こうした世界にいながら、何か実体的な原因が結果をもたらしたという見方に陥っているために、衆生は生・住・異・減という変化、つまり損減から逃れられないと空海は指摘している。損減があるところ、変壊(へんね)無常(変化し壊れ、無常)であり、また劣から勝を見ると、劣は損であり、下と上を比べると、下は減であるといった尊卑や上下や勝劣といった二項対立的でヒエラルキー的な違いも生じる。こうしたさまざまな二項対立が、循環的また相互包摂的にすべて調停されているのが、法身の「自受法楽」の世界なのだが、それに気づかず衆生は「夢落(むらく)に長眠(じょうめん)す」(夢の村で深い眠りに落ちている)と空海は語る。 》 204-205頁

 アフリカ・セネガルのバンド『ジェウフ・ジェウル・ド・ティエス/アウ・サ・ヨン 第2集』をCDで聴く。
 https://www.sambinha.com/e-commex/cgi-bin/ex_disp_item_detail/id/SSTB-0007/
 宣伝文句「アフロジャズ&ファンクを融合した」音楽。シビレル。