『空海論/仏教論』四(閑人亭日録)

 清水高志空海論/仏教論』以文社2023年4月20日 初版第1刷発行、 後半の「第二部 『吽字義(うんじぎ)考』」を少し読み進める。

《 二項対立と、それらを兼ねた第三レンマ(媒介)、「相依性」の循環的構造によって、原因をどこにも帰さない第四レンマ(一切諸法因不可得)としての縁起という、仏教思想を萌芽させる根源的な素材は、「野生の思考」に共通する思惟のあり方を明らかにしめしており、とりわけ『中論』以降に確立される「相依性」の定義は、その構造の抽象性ゆえに、逆にさまざまな地域の土着の世界観と汎用的に融和し、また仏教そのものをも多様なかたちで発展させる契機となった。 》 149頁

《 大乗仏教の縁起説がもともと語っていた情念や妄念が増大する仕組みについては、(引用者・略)講義篇でも見たように、そこでは「Aがあるから非Aがある」「非AがあるからAがある」というフィードバックループが、「相分」(現れとしての対象世界)と「見分」(現れとしての対象世界を見ている限りにおける主体)のあいだで働く作用として捉えられた。さらにはこうしたループを自覚的に眺めている自証分と呼ばれるものを含めた三項によって、識の基本構造が規定されたのである。しかも唯識においては、そうした識の三分じたいが、また別の識の「相分」となって現れるというかたちで、世界があくまでも相互包摂的にあるということが説かれている。──この点において、われわれを包摂する唯一の客観的な世界が存在するという西洋近代哲学の前提を否定する、多自然論哲学と人類学、またそのマルチパースペクティヴィズムと、唯識はきわめて親和性が高いと言えよう。 》 149-150頁

《 ギリシャ古典論理以来、西洋では一般に、個別的なものがより普遍的なものに分類されることをもって「判断」とする。たとえば「ソクラテスは人間である」「人間は死するものである」といった具合にである。 》 156頁

《 色彩がたった三つの原色から成っているとしても、そこから限りなく複雑な色彩が導かれるように、根源的で普遍的な要素を見いだすことは、複雑さを犠牲にすることではなく、むしろその逆である。哲学と仏教の対話も、そうした根源的な普遍性に立つことによってこそ真に可能になるだろう。 》 157-158頁

《 二項対立の問題を扱った西洋哲学は、とりわけ二〇世紀の後半には西洋中心主義や人間中心主義への批判を声高に宣揚したものの、こうした意味であくまで西洋的な価値相対論、文化相対論の枠組みから逃れられてはいなかった。この「二重性」のロジックに留まることは、二項対立をなしくずし的に曖昧化、無化することを企図しながらも、収束することのない、開いたままのプロセスにつねに身を置き続けることを強いられることであった。 》 160頁

《 問題は二〇世紀までの文化相対主義多文化主義が、文化的な多様性を許容する一方で、自然や世界そのものについてはあくまでもそれが単一のものであるという前提を持っていたことである。 》 162頁

《 ここではたして何が起こっているのか? それは哲学上の概念としても、プラトン以来重要な意義を持つことが意識されてきた、「一と多」という二項対立が、西洋哲学において伝統的に「二重性」による解決のかなめになっていた「主体と対象」という二項対立と結びつき、さらにその組み合わせが、逆転するという事態なのである。複数の二項対立を、「二重性」によって解消しようとする西洋近代哲学の核心部に改変が加えられることで、狩猟民的な世界像や、仏教の宇宙観が私たちにとって急激に身近になってきた、理解可能なものとなってきたということなのだ。 》 167-168頁

《 わたしが本書で試みるのは、「仏教解釈の存在論的転回」である。 》 168頁

 こう暑いとキューバの大衆音楽を聴きたくなる。
 Kiki Valera “Vida Parrandera”
 https://www.youtube.com/watch?v=lCMQ8HAXC-M
 Son cubano par Carlos Rafael Gonzalez
 https://www.youtube.com/watch?v=gsKQalDu4VU