『空海論/仏教論』五(閑人亭日録)

 清水高志空海論/仏教論』以文社2023年4月20日 初版第1刷発行、 後半の「第二部 『吽字義(うんじぎ)考』」を少し読み進める。

《 「対象』はまた、「一なるもの」であるとともに「多なるもの」でもある。というハーマンの見解にも注目すべきである。「対象」は「一と多」という二項対立を兼ねた第三レンマでもあるのだ。ハーマンの議論が示唆するのは二項対立の要素を三種類に増やすことで、ラトゥールのように循環的な状況分析を経るまでもなく、第四レンマ的な構造がすぐさま直観できるではないか、ということだ。 》 174頁

《 縁起や離二辺の中道の思想を組み合わせて、仏教がモデル化してきた「相依性』の概念や、唯識や華厳がそこに加味してきた相互包摂や「一と多」の主題もまた、非還元的な構造と多様性をモデル化しようとしたものであり、原因の無限遡行を回避するために組み立てられたそれらのロジックは、「二重性」において捉えられがちな二項対立の各項をむしろ始めて端的に提示し、突きつけるものでもあった。では密教においては、こうしたモデル化はいかに現れているのだろうか? 》 178頁

《 そしてこれらの心(識)も個人のそれであるよりは、どこまでも相互包摂によって成る世界の総体である。世界の複雑さをどこまでも弁別していく、個体を超えた世界そのものの無意識とでも呼ぶべきものが、心(識)の実相としての《一切を知る仏の智慧》(一切種智)であるとここでは語られている。だからこそあらゆるものは法界(真如)であり、それがあらゆるものの本体である。──原因もまた法界、縁もまた法界、因縁によって生まれたものもまた法界である……。 》 179頁

《 世間の凡夫はあらゆるものの本源を観ないので、みだりに生があると思う。それで生死(しょうじ)の流れに随ってそこから出ることが出来ないのだ、と彼は語る。それは無知な絵描きがみずからさまざまな絵の具を使って恐ろしげな夜叉の画を描いて、描き終わったものを見て恐怖から地に倒れ伏してしまうようなものだ、というのである。 》 191頁

《 如来智慧をもった絵師は、とうにそうしたことをわきまえていて、自在に大悲の心による曼陀羅を描く、と空海は語る。ショートサーキットのループを抜けたところに、より多元的で動的な、生成とも寂滅とも語り得ない、そんな宇宙が自在に描かれる。そしてそれは利己心を離れ、衆生を苦から救いたいと願う大悲の心がまさにもたらす曼陀羅だと言うのだ。 》 192頁

 これらの論述をよく理解するためには、以前読んだ本(久保田教『ブリューノ・ラトゥールの取説』月曜社清水高志・奥野克己『今日のアニミズム以文社、グレアム・ ハーマン『四方対象』人文書院)など)の再読が必要。読むしかない。わかるようになるかな。

 某ブログ↓。好みが重なる人がいるものだ。LPレコードで聴く。

《 暑い毎日が続く。そんななかで繰り返し聴いているのが「CHARLES MINGUS THE CLOWN」(ATLANTIC,ワーナー・ブラザース・パイオニア、1972)。サイドONEがなんとも心地よい。 》
 https://sumus2018.exblog.jp/30400948/
 https://www.youtube.com/watch?v=cSTfgOG46dI
 題は「ハイチ人の戦闘の歌」。
 気分が乗って、”THIS IS THE BEST RECORD I EVER MADE”とジャケット裏に大きく記された『 TIJUANA MOODS 』(邦題「メキシコの想い出」)1962年録音のA面をかける。
 https://www.youtube.com/watch?v=aGsVqF-URXc