『新・空海論』七(閑人亭日録)

 竹村牧男『新・空海論』 仏教から詩論、書道まで』青土社2023年6月30日第1刷発行、「第七章 曼陀羅思想の核心」を読んだ。

《 曼陀羅というと、よく宇宙を表している、と言われます。しかし空海においては、実はけっしてそのようなことではありません。これまで述べてきた曼陀羅のしかも実質となるものが、実は各人の心の中にあるのだと言うのです。曼陀羅は自己の心の中の荘厳(かざり)として内在しているのだというのです。それが秘密曼陀羅であって、かつ秘密荘厳にもほかなりません。 》 299頁

《 一般に六大とは、地大・水大・火大・風大・空大・識大という物質的諸元素であると思われています。しかし『即身成仏義」は、この六大については、次の経典によってその意味を取るべきだと指示しています。(引用者・略)
  つまりこの六大は、本不生・離言説・自性清浄・不生不滅・空等を意味するのであり、そうした各種の特性(徳性)を表わすものだというのです。もちろん、識大があることから、智慧の性質も帯びているこおtになるでしょう。『即身成仏義」自身によれば、この第一句は、体・相・用の体を表すものんあおでした。とすれば、如来の本体、つまり法界体性が有する種々の徳性のあり方をこの六大が明かしているのであって、六大はけっして諸元素のことではないということになります。こうして、この六大とは、理智不二の本覚。真如としての法界体性の具わる種々の徳性を表現しているものなのです。 》 303-304頁

《 こうしてみると、『即身成仏義」の「即身成仏頌」が明かす「即身」とは、一貫して、相互に渉入するあらゆる他者を具している身であることこそを意味していることになります。 》 307頁

《 実は空海密教においては、自己が他者と重々無尽の関係を織り成しているだけでなく、その故にその全体が自己であるということがしばしば語られています。いわば本来的に曼陀羅の全体が自己であるということです。自己は人人無礙法界の全体だということであう。 》 307頁

《 ともあれ、この本覚門に拠るとき、「即身成仏」とは「この世のうちに成仏する」に意であることをさえ、いわば覆しているものであるということになります。空海密教思想全体の中に、密教の修業によってこの世のうちに成仏するという立場が、全然、ないわけではないでしょう。しかしその前提にある「すでに成仏している」という根本的な人間観がここにまとめられており、空海はそのことを我々凡夫に明確に示しているのです。このとき、「即身成仏」の語は、「即ちの身、成れる仏なり」と読むべきだということにもなるのです。 》 310-311頁

《 このように成仏とは要は、修行によって仏に成ること、つまり因縁所生ではなく、すでに仏として法爾所成であることを意味しているのだというのです。それは、大廬遮那仏の場合であろうと思うかもしれませんが、法爾所成であるのなら、そのこと自体はどの仏にも共通でしょうし、これから仏と成る凡夫にも共通のことでしょう。 》 312 頁

《 曼陀羅というとき、そうしたより根源的な曼陀羅密教の教理において説かれていること、それは大曼陀羅のみでなく、実際に四種曼陀羅が存在していることを忘れてはなりません。この四種曼陀羅は、身像の全集合・持物すなわち当体の心の全集合・説法(言語)の全集合・活動(作用)の全集合ですあkら、身・語・意の活動のことである三密を別の仕方で表現したものということになります。つまり四種曼陀羅とは三密のことと言えると思うのです。
  しかも、曼陀羅を構成する諸仏諸尊のおのおのに、その四種曼陀羅があって、その数は無量であるとありました。 》 320頁

《 そうすると、無数の諸仏諸尊等がいて(胎蔵・金剛界曼荼羅)、そのおのおのが四種曼陀羅を具しているという、いわば二重の曼陀羅構造がここにあることになります。それは、立体的・動態的曼陀羅であり、言い換えれば無数の諸身の間で、無数の三密が交響している世界と言えるでしょう。 》 321頁

《 まずはこの空海の立体的動態的な世界観を明瞭に了解しておかなければなりません。曼陀羅とは、まさにこの立体的・重重無尽的人人無礙の世界のことであることを、よく了解すべきです。 》 325頁

《 しかもそれらは「互相に加入し、彼此摂持」しているのであって、実にその全体は、本来、衆生本有のものでもあります。こうした、一切の諸仏・諸尊・諸衆生の各身の体・用にわたる立体的・動態的・多重的渉入相応関係の全体に、根源的な曼陀羅を見出すべきなのでした。 》 332頁

 一箇所間違いかな、と思ったこと。293頁。
《 左図のように十三の部分から成りたっています。中央に八葉蓮華台があり、宝ドウ如来開敷華王如来阿弥陀如来・天鼓雷音如来の四仏と、弥勒などの四名の菩薩が大日如来を取り囲んでいます。 》
 とあり、左の曼陀羅図には阿弥陀如来がない。その位置(?)に「無量寿」の文字。

 昨日に続き、きょうも猛暑日。昼過ぎ、所用で少ちょっと外出。帰宅。汗ドバ~。