『人類学とは何か』(閑人亭日録)

 ティム・インゴルド『人類学とは何か』亜紀書房2020年3月26日 初版第1刷発行、「第1章 他者を真剣に受け取ること」を読んだ。

《 私の定義では、人類学とは、世界に入っていき、人々とともにする哲学である。 》  9頁

《 世界は生産、分配および消費のシステムに牛耳られているのだ。そのシステムは、異様なまでに少数の者に富をもたらす。その一方で、数えきれないほどの人々を窮乏状態にし、慢性の不安定状態、貧困、疾病をもたらす。さらには、かつてなかった規模で環境破壊を引き起こし、多くの地域を居住不可能にし、破壊不能な有害廃棄物で土地と海をいっぱいにしている。 》 10頁

《 知識は、モノを固定して説明したり、ある程度予測可能にしたりするために、概念や思考のカテゴリーの内部にモノを固定しようとする。(引用者・略)それとは逆に、知恵があるとは、思い切って世界の中に飛び込み、そこで起きていることにさらわれる危険を冒すことである。(引用者・略)知識は私たちの心を安定させ、不安を振り払ってくれる。知恵は私たちをぐらつけせ、不安にする。知識は武装し、統制する。知恵は武装解除し、降参する。 》 14-15頁

《 他者を真剣に受け取ることが、私の言わんとする人類学の第一の原則である。 》 20頁

《 世界はむしろ、絶えず生成しつつあるのだ。その一部である私たち自身もまた、実際にそうであるように。まさにそうであるがゆえに、常に形成されつつあるこの世界は、不思議さと驚きの涸れざる源泉なのである。 》 29頁

《 モノに注意を向けること──その動きを見つめたり、その音を聞いたりすること──が、波頭がまさに砕け散るその時に波に乗るように、行為の真っただ中で世界を捕まえることである。賽がすでに投げられた世界に後から出くわすどころか、世界は、そのかたちが現れるまさにその刹那、目の前にいきなり現れる。その瞬間に経験と想像力は溶け合い、そして世界が生成する。 》 29-30頁

 うわっ、マラルメの『賽の一振り』じゃないか。

《 むしろ、かたちを生じさせ、ある一定の時間存在させるために、世界を貫いて流れる物質の循環とエネルギーの流れの見えない力としていのちを考えなくてはならない。(引用者・略)人類学では、モノの存在および生成についてのこのような理解──もしそう呼んでいいのなら、この存在論──は、アニミズムとして知られる。 》 30頁

 「第2章 類似と差異」を読んだ。

《 人間とは、結果ではなく、一区切りなのである。人間は、人間が直面する条件──過去に自分自身と他者の行動によって累積的に形づくられた条件──に、あらゆる瞬間に反応しながらつくられる自らの生の産物である。 》 47頁

《 要するに、話すを学ぶとは、生まれ落ちた場所にいる人々のしかたで話すのを学ぶことである。 》 49頁

《 生を進めながら人間存在をつくり続けることは、けっして終わることのない任務である。私たちは絶えず自分自身を創造し、互いを創造し合っている。この集団的自己形成の過程が歴史である。私たちが行っている事柄のうちに、次世代が成熟する条件を確立していくことによって、私たちは歴史的に私たち自身を形成している。こうした条件が変わると、私たちもまた変化する。私たちは、先人の知ることのない属性や能力や適性を発達させている。 》 50頁

《 生とは、閉じる動きではなく開いていく動きであり、目の前に置かれているかもしれない限界を絶えず乗り越えていくものである。 》 54頁

《 私たちが共同体に属しているということは、私たちがそれぞれ違っていて、与えるものをもっているからである。それゆえ、共同体における自己同一性とは、根本的に関係論的である。(引用者・略)市民にとって、自己同一性とは、あなたに属するという属性のことであり、あなたが所有し、また盗まれることすらある権利や所有物ののことである。 》 59頁

《 人類学のパラドックスの一つは、人類学が、非西洋の人々の生と時間について多くのことを言う一方で、西洋の人々についてはほとんど何も言わないということである。 》 60頁

《 ところが、自己同一性への関係論的なアプローチは。「私たち」が何を意味することになるのかということについての根本的に非=対立的な理解──西洋とそれ以外、さらには人間と自然というしぶとい分極化から、ついに逃れることが可能になるような理解──を開いていくのである。 》 62頁

 「第3章 ある分断された学」を読んだ。人類学の発祥から最近までの変遷が語られる。こんな歴史があるとは知らなかった。私より二歳年上のインゴルドの学生時代は、私の学生時代にかなり重なる。親近感を感じる。

 購入してすぐにではなく、今だからこそ、読むことの必然性を感じる。

 久しぶりの夏日。エアコン要らずの心地よさ。畳の上にゴロンとお昼寝。