芸能でもある芸術(閑人亭日録)

 芸能でもある芸術。芸術オンリーではなく。芸術でもある芸能。芸能オンリーではなく。芸能と芸術。その境界はあいまい。重なり交錯するところがある。明確な境界線を引くこともない。縄文深鉢土器は、芸能でもあり芸術でもある。どちらに重点が置かれようとも、歴史を超える格別に優れた作品であることには違いない。
 時を超えて後世に名品、名作として評価される作品は、価値観の変遷と忘却を超える。あるとき鮮やかに発見され、脚光を浴びる。
 今をときめく芸能人、芸術家で、誰が、どの作品が後世に伝わり、名作、名品と評価されるだろう。興味津々だが、生きてはいないや。だからこそ、生まれる前の時代の美術品も探索する。小原古邨、審美書院は私の探索=発見の一例。そしてKAOS(北一明、味戸ケイコ、奥野淑子、白砂勝敏)の他の現役作家に目を凝らす(13日の記事を参照)。まあ、そんな簡単に見つかることはないだろうが。だからこそ面白い。競馬や宝くじよりもはるかに面白い。