北一明の焼きもの(閑人亭日録)

 北一明記念館開館の新聞記事を再掲。
《 思い継ぎ平和の発信地に 出身地の飯田で北一明さん記念館開館 》 南信州新聞
 https://minamishinshu.jp/2023/10/25/233699/?hilite=%E5%8C%97%E4%B8%80%E6%98%8E
 他の新聞記事も同じような内容。反戦反核の思想が前面に出ている。それはそれでいいが、何か物足りない。記事の字数が少ないせいだろう。「焼きものには思想がないからいい」といった思考に反発して思想を表現したデスマスク類を彼は制作した。それは間違っていない。私はデスマスクなどの作品も所持し、K美術館で常設展示したが、それ以前に興味を持ったのは、茶碗。今、あらためて彼の茶碗を鑑賞して、釉薬の分厚(熱)い迸(ほとばし)り、と言うか、そのその弾けるような流れ、零(こぼ)れんとしてぐっと留まる乳頭(釉垂れ)など、器の形態をはみ出すパワー=見る者をぐっと惹きつけてやまない魅力をビシビシと感じる。直径15センチ足らずの茶碗に破格の潜勢力が漲っている。釉薬の分厚(熱)い迸りから彼の燃え滾(たぎ)る情熱が伝わってくる。北自薦の作品を手にすると、その情熱は静けさに潜み、科学的思考(試行)の冷静な精神を感じる。過去に見てきた重要文化財、国宝の茶碗には「わ、美しい」とは感じたが、これほどの破壊力(伝統美を革新する魅力)は感じなかった。彼の茶碗類には伝統美の常識を根底から覆す美の破壊力が潜んでいる。対してデスマスク類は・・・デスマスクの奥底から生者への訴えがひしひしと心身に伝わってくる・・・。それに対してどう言い表すか、未だに定まらない。