『愛憎』 『カオス・領土・芸術』(閑人亭日録)

 深沢幸雄『愛憎』を床に立てかけて鑑賞。思い立って拙ブログを検索するといくつか出てきた。
 https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/2022/09/24/203535
 関連するブログで以下が出ていた。
 『カオス・領土・芸術』再読・五(閑人亭日録)
 https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/2021/04/20/210011
 エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術 ドゥルーズと大地のフレーミング法政大学出版局2020年初版は、大岡信が六十年余り前に書いていたことを闡明に上書きしたような。というのは不敬かもしれないが、同じことを書いていることには違いない。再録しておく。

《 いかなる種類の芸術も、感覚する身体全体を通して共振し、ひとつの共合成=共創作[co-composition]のなかで、さまざまな要素を捕獲する。この共合成=共創作は、 みずからのうちに、他の種類の芸術や感官の残滓的な効果の振動と共振を、つまり根底的なリズムを携えている。 》 140-141頁

《 視覚や聴覚よりも「より深い」ものとしてのリズム(私たちは、振動と同じく、これを差異の別名として理解しなければならない)は、対象から器官へと、そして 器官から器官を惹きつける対象へと、さらにそのような対象と器官の関係から感覚をもたらす芸術の対象へと駆け抜けていくものである。リズムは宇宙から芸術作品へと、 そして身体へと直接伝達され、身体から芸術作品へと、そして宇宙へと伝達され返す。リズムはそのように循環するにつれていっそうみずからを強度化し、複雑化する。 》  142-143頁

《 あらゆる芸術に共通の基盤は、見えない力や聴きえない力のリズム的な宇宙、それらの還元不可能な仕方で持続的な宇宙であり、その力の秩序は、経験によって 識別することはできず、それゆえせいぜいカオティックなものとして経験され、生きられるしかないものである。 》 147-148頁

《 あらゆる芸術が互いに共有する力の共通する「土台」、あるいはそれらの統一性があるとすれば(それも、芸術と同様、カオティックな力の秩序化へとそれぞれきわめて 異なる仕方で方向づけられた科学および哲学とともに)、それはこれまで存在してきたものの統一性のなかにではなく、ある共通の未来の統一性のなかにのみある。 「未来の力能」とは、もっとも切迫した力であり、もっとも測り知れないものである。 》 148-149頁

 これは私の考えている縄文・4(フォー)、KAOS(カオス 北一明、味戸ケイコ、奥野淑子、白砂勝敏)に当てはまる。
 最近考えているのは、一人追加して、縄文・5(ファイヴ)、KAOSU(U=内野まゆみ)だが・・・。