「しあわせ それとも」(閑人亭日録)

 半世紀余り前、寺山修司作詞の『山羊にひかれて』を歌ったカルメン・マキで記憶に刻まれた歌詞♪しあわせ それとも ふしあわせ♪。
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 「幸せ」がときおり話題になる。幸せになりたいですか、幸せですか、と問い掛けられたら私は答える「幸せでも不幸せでもない。考えたこともない」と。低空飛行の生活を続けている私には幸せ不幸せという観念がない。私にとって大事なことは多幸感ではなく、充実感。充実感を得られたとき、生きていてよかった、と思う。七十三歳を迎えてやっと充実感を感じられるようになった。思うようにならぬこと、裏切り、嘘、屈辱など誰にも起こる充実とは真逆のことがいくつもあったが、それらを耐えて(絶えて)今日の充実感、肯定感がある。と、思う。二十代は「ベトナム帰還兵みたいだね」と言われた根暗だった自分。そんなときに掬われたのが、味戸ケイコさんの絵、萩原朔太郎の詩だった。当時も自分を不幸せとは思わなかった。不運だな、と思った。あれから半世紀。おバカな老人の今がある。それでいい。充実感とは、自らの夢を実現させたことにあるのだろう。去年の「三島ゆかりの作家展」でひとつの結果を得た、という充実感がある。しかし、傍から見れば、そんなことで!と勘違いもはなはだしい充実感に見えるかもしれない。それでもいいじゃないか。充実の内容は、それこそ人さまざま。それでいい。次の夢の実現へ向けて動きはじめたこのごろ。