型破り 破格(閑人亭日録)

 踏み切る、踏み込む、踏み出す、踏み外す、踏み倒す、踏み抜く、踏み止(とど)まる・・・。ふむふむと辞書を眺めていた。踏に続くことばはまだまだある。これらのことばを美術の世界に持ち込むと、どうなるか。アヴァンギャルド=前衛と呼ばれる作品は、「踏み出す」だろうか。「踏み抜く」だろうか。伝統を継承する作品は、「踏み止まる」だろう。あるいは「踏み固める」か。頑張りすぎて「踏み外す」作品もあるだろう。まあ、そんな言葉遊びをたまにする。
 北一明は、その著作『ある伝統美への反逆』三一書房1982年刊のように、反逆。上記「踏」に当てはまる言葉では「踏み抜く」だろうか。別の見方もある。すなわち外部(伝統の埒外)から伝統にずけずけと踏み込んできた場合だ。北一明の場合は、それだろう。伝統ある陶芸の序列を引っ掻き回すような制作態度に、陶芸界から顰蹙を買ったのは当然のことだろう。四十年あまり前、知人女性から個展を紹介されて新橋のギャラリーへ行ったとき、なんじゃこれ、と驚いた。見たことのない異質な陶芸作品がずらりと並んでいた。それから北一明との親交が始まった。何と言っても「反逆」に共感した。それらの陶芸作品は、型破りに見えた。それから国宝茶碗、重要文化財の焼きものなどを見に、東京から大阪まで巡った。そして結論。北一明の陶芸作品は、型破り、破格である、と。きょうも数碗取り出して鑑賞したが、いやあ、桁違いにいいですねえ。ゆえに陶芸業界からは無視、黙殺されている、と私は思う。別に評価されなくてもかまわない。私が、評価している。そして最終評価は利害関係の絶えた後世の人が決める。