何が可能か(閑人亭日録)

 大江健三郎だと記憶するが、「文学とは何かを追及するよりも、文学に何が可能か、を追及すべきだ」という趣旨の発言があった。この主張、ときおり頭に浮かぶ。私なりに場面を考えると、煮物を煮詰めるよりも吹きこぼすほうを選べ、ということになる。伝統の継承よりも伝統をひっくり返すこと。陶芸のウェブサイトを閲覧すると、相も変わらず「窯変」やら「曜変」やらの陶芸品が目白押し。国宝曜変茶碗の再現を試みる陶芸家がこれほどもいるとは。『ある伝統美への反逆』という著書のある北一明は、曜変茶碗の再現など難しくはないと、その上を行く耀変茶碗を創造した。その耀変茶碗は、陶芸界では黙殺されている。しかし、海外、例えば中国では桁違いに評価されている。2007年の三月、K美術館を訪れた中国美術家協会二十人ほどの方が、北一明の陶芸作品を見て驚嘆。すごい興奮状態だった。二十分ほどの滞在予定が、一時間に延びてしまった。次に長野県の東山魁夷美術館に行く予定。ガイドは、大丈夫と。まあ、あの様子では、追い立てることは無理だったな。その時のことが、半年後に中国の美術雑誌(『DUZHE』2007/10)に二頁にわたって掲載された。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Duzhe
 日本人では初の紹介。写真は、K美術館前の記念写真、北一明、味戸ケイコ、小原古邨、高橋松亭の作品。その時、「版画の誘惑」展を開催していた。この四人の作品が掲載されるとは、やはり海外は日本とは違う、と実感。2007年当時、小原古邨、高橋松亭の木版画は、ほとんど話題になってなかった。その後、アメリカの版画マニア、高橋松亭を集めている白人男性が来館。
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