怪談を読む

 昨日買った山田風太郎「怪談部屋」出版芸術社から題名に惹かれた「うんこ殺人」と「蝋人(ろうにん)を読む。二作ともすごい短篇だ。前者は昭和23年、後者は昭和25年に発表された。戦後のドサクサに咲いた名品だ。西暦では1948年と1950年の発表。1922年生まれの作家が26歳と28歳のときに発表したものだ。1947 年25歳で作家デビューしたので、初期作品であるが、内容のみならず文体も既に完成している。「うんこ殺人」は、小説家中島らもが「未読だがタイトルだけで一位」(「このミステリーがすごい!2002年版」宝島社)と書いているそうだが、内容も逸品だ。ダンテ「新曲」の「地獄篇」を借りている、密度のじつに濃い作品だ。イタリア人の感想を聞きたくなるが、はて彼の小説は海外に紹介されているのだろうか?初期の短篇はときおり読んでいるが、どれにも脱帽。海外に紹介されていないのなら、これは片手落ちだろう。「あとがき」から。
「なかんづくわたしに、もっともむずかしいという結論を得させたのは怪談である。」
「怪談は、やはり徹頭徹尾、荒唐無稽なものでなくてはならない。荒唐無稽の世界を描いて、読者を一種の雰囲気にひきずりこむには、天才的文章力を必要とする。たとえば、鏡花のごとく。」

 文章力は絵画でいえば、描写力、表現力、構成力、構想力ということになろう。いや、これは文章でも同じか。この四要素が、山田風太郎の初期作品にはぎっしり詰まっている。山田風太郎の文章力に匹敵する現役小説家を、私は寡聞にして知らない。はてさて、絵画ではどうだろう。静岡新聞昨夕刊に日本画松井冬子の記事。
「森の中を走る全裸の女性。足首には鋭い目の犬がかみつき、振り乱した髪や頭を鳥が襲う。腕や背中の皮膚が裂けた痛ましい姿だが、女性の表情にはかすかな笑みが浮かんでいる。」
 怪談絵か。実物を観たいが、本人も見たい→美女だから。
 山田のいう怪談とホラー(恐怖)小説とは違う。ホラー小説は読みたくない。なお「怪談部屋」出版芸術社は、「山田風太郎ミステリー傑作選8怪談部屋」光文社文庫2002年にそっくり収録されている。

 ブックオフ長泉店で二冊。谷川俊太郎「散文」講談社+α文庫1998年初版、バリー・ユアグロー「一人の男が飛行機から飛び降りる」新潮文庫1999年初版、計210円。