特殊か、普遍か

 また降りそうな空なので、早めに出て自転車で来る。しばらくすると雨。ここだけ雨だから参っちゃう。

 新聞の催し欄の告知だけで初日のきのう何人かの方が来館。十年ぶりに展示する絵画もあって、皆さん何かしら心に訴えてくるものがあったよう。ヒッピースタイルの白砂氏も熱心に鑑賞、会いたかった、と述べる。会って話を聞きたかったと他の人も言っていた。生前内田氏が聞いたらどんなに喜んだろう。作品が多くの人の心にしっかり届くまでには、残念なことにかなりの歳月がかかる。多くの人にすぐ受ける鮮度だけが命のものと、受け手に錬度が必要なものと。内田公雄も安藤信哉も(味戸ケイコも北一明も)受け手に錬度が求められる作家だ。すなわち、歳月の風化に耐える作品だ。なにせ、二十代半ば、安藤信哉の新作を資生堂ギャラリーで観たとき、うわあ、乱暴な絵、と面食らったワタシが言うのだから、間違いない。そのときの絵が今、美術館にある。断言する。すごくいい絵だ。

 四方田犬彦「『かわいい』論」ちくま新書2006年を読了。

≪われわれの消費社会を形成しているのは、ノスタルジア、スーヴニール、ミニュアチュールという三位一体である。「かわいさ」とは、こうした三点を連結させ、その地政学に入りきれない美学的雑音を排除するために、社会が戦略的に用いることになる美学であると要約することは、おそらく間違ってはいないだろう。≫120頁

≪閉じられた世界、秘密めいた内密性のなかでは、すべての存在が対立を忘れ、「かわいさ」のなかに溶融する。≫121頁

≪ここでわれわれは究極的な問題に突き当たることになる。それは、「かわいい」とははたして日本に独自の特殊な美学であって、それがグローバル化の状況を受けて、全世界に普及することになったのか。それともどこまでも人類(というといかにも大げさに聴こえるが)に普遍的な美学であって、たまたま日本でそれをめぐる言説が生じ、文化商品の開発が進んだというのにすぎないのか。特殊か、普遍かというハムレット的選択の前に、われわれは立たされることになる。≫185-186頁

 ネットの拾いもの。

≪もちろん大きな幸福を求めることは重要でありますが、それは例えば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあんまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ、政治が深く力を尽くすべきだ≫

≪意外とまともな政権になりそうで困る ≫