「芸術随想 おいてけぼり」つづき

 洲之内徹『芸術随想 おいてけぼり』世界文化社2004年2刷後半。

《 富士山の絵はいろいろ、たくさん見ているが、本物はやっぱり格段に 凄いなと思った。 》 157頁

《 どこへ行っても、高圧線の鉄塔は、たいてい、まわりの風景には 遠慮会釈もなく立っている。 》 168頁

《 物事はこんなふうにうまくつながって、スムーズに運ぶ面があるかと 思うと、どうやってみても、にっちもさっちも行かないという面がある。 人生とはいったい何なのか。 》 170頁

《 しかし、よく考えてみると、果たして行けるかどうか。見ないで すんでしまう可能性が絶対に大きい。人生とはこんなものか。 》 188頁

 以上、「アルプ」に1974年から1979年に掲載された短文から。

《 益子の町で陶器を売る店に入ってみたとたん、マスさん亡き後、 絵の描ける人のいないのが、いまの益子のいちばんの泣きどころだと いうことを、実にはっきりと私は感じた。 》 192頁

《 だが、何と呼ぼうと呼ばれようと、美しいものは美しい。 》 193頁

 北一明の茶碗。

《 事実は事実だけでは意味を持たないのかもしれない。 》 200頁

《 椀の形は外形よりもまず内形──内側の形がだいじだという話などは、 私としては殊に印象が深かった。そこが彫刻と器のちがいかもしれない。 しかも、内形とはいっても、器は、外と同時に、その内側も 見えているわけである。彫刻にはそういう内形というものはないと しても、その形(フォルム)は内部によって支えられていなければ ならない。絵の場合と同じである。 》 204頁

 安藤信哉の絵。

《 だが、よく考えてみると、絵というものは勉強してだんだん よくなって行くというものでは決してなく、たいていの画家は 二十代か三十代でその画家のピークに達してしまい、あとは、 巧くなるといってもヴァリエーションがあるだけなのだ。 巧くはなってもよくはならない。若いときに到達した水準を 生涯保ち続けることができればそれが才能だと言えるくらいである。 言い換えれば、二十代でロクな絵のかけなかったような画家が、 刻苦勉励の末、晩年に至って大画家になるというようなことは 絶対にあり得ないのであって、むしろ大画家といわれるような人でさえ、 終わり頃の作品は若いときの仕事には及ばないというのが普通なのだ。 》  221頁

 安藤信哉も内田公雄も晩年、右肩上がりにいい作品を制作した。
 安藤信哉(のぶや) http://web.thn.jp/kbi/ando.htm
 内田公雄(きみお) http://web.thn.jp/kbi/utida1.htm
 未知の人の内田公雄紹介 http://yusuge.moo.jp/uchida.html

《 そのうちやっと、私は気がついたのであった。してみると、 コレクションが生れるためには、もうひとつ条件がある。 絵に対する無償の情熱がそれなのだ。 》 223頁

 昼前、コミュニティFMボイス・キューの若い知人女性から電話。 仕事のことで会いたいと。近所の喫茶店へ。スポンサーの件から番組まで。 新しい番組を提案する。ラジオ番組とウェブサイトをつなぐアイデア。 大いに受ける。笑える番組名も受ける。ほっ。しかし、困ったときしか 電話がないんだからなあ。ま、いいか。

 ネットの見聞。

《 中途半端に頭がいいというのは厄介。突きぬけて頭がいいか、 さもなければ突き抜けて感覚がいいか。 美術大学は後者の知を大事にする場所だと思う。 》 原研哉

《 <社説> ナイ氏寄稿 「脆弱」な県内移設は撤回を 》 琉球新報
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-230979-storytopic-11.html

《 もう、そろそろ謙虚になろうよ。

  建築家に出来ることというのは、単に建築を成立せしめることだけで、 日本を元気にするとか、ビルバオとかに観光客を呼ぶために奇妙な建築 作ることではないんです。 》 森山高至
 http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11805407136.html

《 そういえばすこしまえに掃除機を買い換えたのだが、 売り場に行ってもどこにも「掃除機」という文字が見当たらない。
  最近は「クリーナー」と言うらしい。 》

 ネットの拾いもの。

《 映画だとそろそろ代々木公園から巨大な蚊状生物が飛翔する頃である。 》