「しゃれのめす」つづき

 洲之内徹『しゃれのめす』世界文化社2005年初版を読了。

《 写生と写実とはそこがちがう。写実の基底には感動がある。感動が なければ写実はないのだ。 》 141-142頁

《 どんなにいい画家でも(画家に限らず)マスコミに名前が出なければ 在れども無きが如く、存在しないにひとしいというのがこんにちの現実だが、 そのマスコミに名前が出るのには、マスコミにパイプの通じている美術批評家が 何か書いてくれるか、言ってくれるしかしなければどうにもならないという 仕組みになっている。 》 144頁

 美術雑誌に記事が掲載されるために、作家が掲載料を払う現状……。

《 ボナールは謙虚だ。あまり自己を主張しない。ピカソでもルオーでも マチスでも、絵に先立ってそれぞれの強烈な自己の世界があり、それに従って 表現があるが、ボナールはつとめて平凡な見方をして、平凡な描き方をして、 しかも、いま挙げた巨匠たちと同じ、あるいはそれ以上の高さに達している。 絵の具が完全に手に入っていて、絵の具を知り尽くしている。むしろ、彼こそは 巨匠中の巨匠といえるのではあるまいか。 》 149頁

 安藤信哉がボナールを好んでいた、とかすかな記憶。それでボナールの 展覧会へ行ったような。あるいは逆か。
 昨日の訂正。安藤信哉の水彩画、千葉県立美術館は収蔵していた。

《 恥ずかしいといえば、私は画商になってから、コモちゃん(注:古茂田守介) の死ぬまでの二、三年間、いっしょうけんめい彼の絵を売ろうとしたが、 とうとう彼の生きている間には、一枚も売ることができなかった。 》 158頁

《 それが不思議でならない。こんないい絵がどうして売れないのか。こんな 優れた作家がどうして見逃されているのか。いっぺん自分の手で展覧会をやって みないことには、私は納得できないのである。 》 199頁

 安藤信哉は生前画商がつかなかった。先生の絵は売れません、と。こんなに いい絵を死蔵しておくのはなんとももったいない、と、遺族から渡された絵を K美術館で展示した。今なら良さがわかる絵だ。保管している小品を扱う画商が 現れないだろうか。

《 絵というものは、よく言われるように、ひと目で惹きつけられてしまう というものではない、とこの頃私は思う。よく見なければならないのだ。 》  169頁

《 絵とは何か、と問うても容易に答えは見つからないだろうが、反対に、 オリジナリティがなければ絵ではない、ということははっきり言える。絵に 古いも新しいもない。というよりも、オリジナリティのあるものはいつも新しく、 パターンで描いたものは、描かれたその瞬間に既に陳腐なのだ。 》 200頁

《 絵を見るには、絵を見る力が要る。絵を前にして、ただ受け身に、漫然と その絵を見ているだけでは、絵を見る力は見に付かない。およそ本当に絵と 呼ぶに値するほどの絵なら、それを描くために作者が心を尽くし、身を尽くす、 それと同じ力が見る方にも要るだろう。また、それでこそ、絵を見る喜びも あるだろう。 》 206頁

 四十年前、資生堂ギャラリーで安藤信哉の大作を前にして呆然となった。 荒々しい筆触にビックリ。筆触をただ荒々しいとしか、その時は思えなかった。

《この天才的なカラリスト。無言の詩人。 》207頁

《 時代が変れば絵も当然変わる。だが、変わって行くだけで、新しい仕事とは いえない。絵はどう変わっても、絵本来の美しさで新しくなければならない。 言い換えれば、美しいものはいつも美しいのだ。 》 208頁

《 だが、未完成とはどういうことなのか。青木繁の最高傑作『海の幸』は、 あれは未完成ではないのか。ジャコメッティーの絵にしても晩年のセザンヌに しても、殆ど未完成なのではあるまいか。 》 210頁

《 私のことなどどうでもいいが、すくなくとも、私にとっては最も大切な 画家の一人なのである。 》 212頁

 安藤信哉の絵にそのまま流用できる。
 http://web.thn.jp/kbi/ando.htm

《 刻々に姿を変えながら、作品は瞬間毎に申し分なく美しい。極度の精密さで 計算され、力学の法則に完全に従いながら、途方もない空想の中で自由に呼吸し、 深い夢想を孕んでいる。用を目的とし、用に縛られていてはぜったいにこうは 行かない。と、まあ、いろいろもっともらしく理屈を並べてみるが、要は この人の抜群の形態感覚だろう。 》 192頁

 北一明の茶碗、とりわけ耀変茶碗への評言にそのまま流用できる。
 http://web.thn.jp/kbi/ksina.htm

 洲之内徹の文をなぜ読みたいのか。彼の画商という生き方への深い関心か。 自身の審美眼によって絵の良し悪しと商品価値を判断する。売れなければ自分の 責任。そこに共感したのか。

《 画商を十年もしていると、だんだん絵がわからなくなるのではないかと、 つねづね私は思っている。高いか安いか、売れるか売れないか、儲かるか、 それとも損をしそうか、商売だから仕方がないようなものの、そういう、本来 絵そのものとはなんの関係もない思惑が先に立つからだ。そして商売にならない 作品には関心を持たなくなる。 》 58頁

 眼が狂う、そんなおそれから私は画商にならず、買い手になった。いや、本音は、 絵を買った人から苦情を言われるのをおそれたから。

 午後雨が上がったのでブックオフ長泉店へ。昨日見送った二冊、江戸川乱歩賞全集 4『大いなる幻影 戸川昌子/華やかな死体 佐賀潜』講談社文庫1998年初版帯付、 エドワード・D・ホック『怪盗ニックの事件簿』ハヤカワ文庫2003年初版、計216円。 前者は、昔読んだ文庫本よりも活字が大きく読みやすくなっている。後者は贈呈用。 知人女性から声をかけられる。数年ぶりか。病から恢復したようでなにより。

 ネットの見聞。

《 7 Most Famous Works of Art Lost Forever(永遠に失われた世界的芸術七作品 》
 http://www.teoti.com/art-comics/126657-famous-lost-art.html

 ネットの拾いもの。

《 渡辺氏 新党「俺」立ち上げへ  》