初秋の気配だけど蒸し暑い

 赤瀬川原平『目利きのヒミツ』光文社知恵の森文庫2002年初版、ぱらぱらと再読。

≪現代美術というのはコンセプトであり、作品物体そのものはいくらでも代替がきく、というのを原理としている。だから画家の手わざのオリジナリティが珍重されていた時代の芸術(印象派とか表現派までの)とはまるで違う価値観で構成されている。でもそれを包む世の中の売り買い制度は変っていないし、芸術を欲しがる人々の意識の内容はそうは変っていないから、手わざを洗い落したはずの現代美術に後から手わざを付加しているというのが実情である。≫84頁

≪物としては、つまり商品や製品としてなら誰にやらせても出来るものだが、やっぱりそれが芸術であって欲しいとなると、最低限の作家限定のアウラを求めてしまう。すでにその現代芸術作品にアウラなどないにしても、本来ならあるはずなんだというアウラの保証、アウラの手形、予約券のようなものを求めてしまうわけで、その向うに保証されているじっさいの芸術作品はほとんど消滅しているといってもいい状態である。≫85頁

河原温(かわはらおん)の日付だけの作品などはそのわかりやすい典型ではないかと思う。≫85頁

≪芸術家というのも、かつては職人に近い存在であったのが、いまではむしろ営業マンに近い存在に変化してきている。職人に必要なのは目であったが、営業マンに必要なのは鼻である。≫91頁

≪やっぱり身銭を切らないと物は見えてこないのはどの世界でも同じようで、お金を媒介としてその物との関わりが一段と深まる。お金というのはスポーツでいう腰のことで、どんなスポーツも腰が入ってないと実力は発揮できない。物との関係でもお金が関わってこないと本腰になれない。それがしかしお金だけのテーマになると、そこから別の世界へ行くわけで、この場合の身銭を切るというのはたんに金額の多寡ではないのだ。≫221頁

 赤瀬川原平の論旨には深く同感。赤瀬川ら70歳以上の作家の展覧会が銀座の画廊ギャラリー58で開かれている。「70歳未満出品不可」。

≪サッカーの場合はU20だったか、若さがウリの催しだが、これは寄る年波がウリの展覧会だ。≫赤瀬川原平