浜の真砂は尽くるとも

 こりゃ≪当たり前田のフロッピー≫だな。古いか。

 こう暑いと日中は出たくない。昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。小沢昭一・宮腰太郎『小沢昭一東海道ちんたら旅』新潮文庫2008年初版、村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮文庫2009年初版、計210円。前者、興味を惹かれる箇所を読んだけど、ホント、ちんたらだった。『ドキュメント 綾さん』新潮文庫のようなものを期待していたけど。

 大宮知信『お騒がせ贋作事件簿』草思社2002年初版を読んだ。なかなか面白かった。文化庁奈良国立博物館の官僚のあまりに情けない責任逃れの実態(88頁)。大阪地検特捜部の闇は明るみに出てきたけど。アカンにならぬようドカンとやってくれ、だ。やはり変革の波は民間から、だ。昭和のキャバレー王福富太郎

≪福富氏はそれほど有名ではない画家を掘り起こし、磨いて光らせるのが得意だ。自分が好きだと思えば脇目も振らずその作家を集中的に集める。世間でもてはやされている画家にはあまり関心を示さない。無名の作家の風俗画や戦争画など普通の人が見向きもしないものを集める。例えば河鍋暁斎。ヨーロッパでは北斎に次いで評価が高かったが、戦後、日本美術史からは忘れ去られていた画家だった。福富氏はその暁斎をせっせと買い集めた。いまや暁斎のコレクターとして福富の名を知らぬ者はいないと言ってもいい。≫162頁

≪そのときは全然売れてなくても、これはすごいなと思った作家に賭ける。評価が定まっていて値段の高い作家は金があればだれでも買えるが、そういうのは外して、いまを生きている作家、自分がいいなと思った作家に賭けるのだ。もしかしたら五十年後、百年後にそれが掘り出し物になるかもしれない。投資と思うとそれなりにリスクはあるが、そこが美術コレクターの楽しみでもある。≫226

 同感同感。それにしても、贋作のあきれるほどの多さよ。贋作ならまだ可愛げがあるけれど、刑事事件の証拠の捏造ではねえ。

≪浜の真砂は尽くるとも 世に『○○』の種は尽くまじ≫