逆行の構想力

 昨夜10時からのNHKテレビを偶然見たら、解説委員が雁首並べて震災〜原発の今後について解説していた。解説しかしない、しかできないから解説委員だと得心。いま求められているのは百年単位の構想力だ。明治神宮に植林された木々が鬱蒼とした森になったように。文明の進歩観と相容れぬ大構想は、えてして秀才あがりから経済性が見込めないと反対され、潰しにかかられる。目先の利益しか考えられない人間は、どの国もいつの時代もわんさといる。先見性のある人物は、やってられんと、あきれて見限り、立ち去る。復興がそうならぬよう。

 坂崎乙郎ピカソを考える』講談社1979年から。続き。

《 ピカソは私たちの因習的なものの見方を斥けるため、人の予期していない、見れば拒絶するイメージを画面に与えたかった。そのため、ピカソの絵は、破壊的たらざるを得ません。》131頁

《 こうしてピカソは、風変りで極端なフォルムを創造することによって、因習的なアカデミックな考え方が決めた美の規準(カノン)を否定し、美とは規準の適用ではなく、むしろ規準から自由に、大胆に対象を把握することにかかっていることを明かにしたのです。》134頁

《 ピカソが現代芸術にとって、私たち現代人にとって稀有な芸術家であるのは疑うことのできない事実であり、彼に匹敵できるのは、おそらく今まで述べてきたマチスであり、これから述べるクレーであり、ジャコメッティです。》181頁

《 芸術を発展の歴史として捉えることはできません。もし発展の歴史として捉えるなら、文明がもっとも進歩しているはずの今日の芸術は、もっとも進んでいることになるはずです。そうすると、ヨーゼフ・ボイスとかサム・フランシスなどの仕事が重要だということになります。(引用者:略)サム・フランシスやヨーゼフ・ボイスの仕事に感動するでしょうか。感動する人があるかもしれない。しかし私はなるべく美術史からはずれてものを見るようにしたい。なにも人間は美術だけを見ているのではないからです。時には芸術は科学のように進歩しているのではなく、逆行も大いにあり得ることを考えておきましょう。》182−183頁

 ネットの拾いもの。

《 歴史ある神社仏閣の防犯カメラって、映るはずのないものが映っていそうで怖いです……。 》