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 『おおさかカンヴァス推進事業2012公募』なるタブロイド版が届く。一ページ全面を使って椹木野衣の美術評論「街を疾走するアート」を掲載。

《 アートはもともと、「お宝」という発想を否定するところから始まった。》

《 アートを宝物のように鑑賞しても、得られるものはない。アートは「鑑賞」するのではなく「参加」するものだからだ。この勘違いから、アートは難解だとする広く共有された誤解も生じる。》

 現代アートの大部分は、ある意味で大道芸と重なると、私は考えている。

《 けれども、アーティストがそうした場所に果敢に取り組み、いつしか風景が魅力あるものに変わることで、しだいに人が訪れるようになり、いつのまにか見違えるような場所に変わる事例が増えるに連れ、かれらの活動に広く注目が集まるようになってゆく。》

 このくだりは、源兵衛川の再生プロジェクトを連想させる。原風景の再生という標語で二十年修景してきたけれど、私としては、環境の創造、という観点で関わってきた。そして、それは現代のランドスケープ・アートだと自認している。

 「街を疾走するアート」を「街を失踪するアート」と誤入力してしまった。失踪するアート、意外と面白い、かも。