1967-1973

 お子さん連れのご両親らで賑やか。知人画家たちも来館、感嘆される。午後、お葬式の手伝いのため、美術館をしばらく留守にする。四時前に戻る。やっぱり賑やか。子どもが楽しんでいるのが一番。

 こんな本、武蔵73会『僕らが育った時代1967-1973』れんが書房新社が最近出ていた。書評、書評に心躍る。熱くなる。

《 この6年間をかれらはつぎのように捉えていることを、「刊行にあたって」の冒頭で述べている。「一九六七年から一九七三年までは、日本の政治、経済、文化、芸術等において激動の時代だった。 》

《 40年前の大学生は社会運動の最前線にいたのだ。 》

 私は1969年に現役で大学入学、1973年に卒業。あるときは手ぶらで、あるときはベ平連の旗を持ち、デモに何度も参加した。空しくも熱い時代だった。その時に負った心の痛みを胸に秘め、ここまで生きてきた。いまだに熱い思いが滾る。そのときの重い思い(悔しさ)をバネに生きている。時代は変わった。明日が分からぬ、じつに面白い時代になった、と思う。

 ネットの見聞。

《 水星のクレーター9つが新たに命名された。こちらは世界各国の著名な芸術家にちなむ名前をつける慣習があるが、ディズニーらとともに日本のキョウサイ(浮世絵師・河鍋暁斎)も太陽系第一惑星に名を刻まれることに。 》 河鍋暁斎!!

 ネットのうなずき。

《 「脱原発」を実現するには、異論を許さない純化路線ではなく、できるだけ緩やかに広く合意を形成できるようになる度量が必要と思う。 》

《 感性は覚えるものでも、詰め込むものでもない。感性は育まれていくもの。  》 駒形克己