川口久雄『平安朝の漢文学』吉川弘文館1981年初版、「一 日本漢文学序説」から。
《 こうして明治期前半期は、江戸漢文学の余波たるにとどまらず、江戸漢文学の残山剰水たるにとどまらない。海彼における希有の経験を、漢詩表現というオブラートに包んでわが日本列島にもたらしたのである。明治前半期知識人の間に、異様な欧化心酔の旋風をまきおこす反面、その文明開化の下地に江戸三○○年が培った儒教的漢学的な教養と漢詩漢文による表現能力とが西欧的なものを摂取する地盤を形成していた。(引用者:略)それは同時に日本漢文学の終末をかざる記念碑となるのである。 》
明治文學全集『32 女學雑誌・文學界集』筑摩書房1973年付録「月報 75」、富士川英郎「明治時代と漢詩」から。
《 明治時代の漢詩は、もちろん、江戸後期に栄えたそれの伝統をひいているが、明治十年代から二十年代へかけては、むしろ江戸時代を凌ぐほどの盛況を呈していたと言ってもよい。 》
《 これに比すればあの『新体詩抄』はもちろん、二十年代のいわゆる新体詩の大半は、幼稚にして粗笨、ほとんど鑑賞に堪えないものであったと言ってもよいだろう。 》
《 ところで、これほど盛だった漢詩文も、明治三十年代に入ってからはそろそろ衰えはじめ、四十年代になると、次第に文藝界の片隅へ(或はその外へ)押しやられてしまった。そしてそれまでそれが享有していた「詩」という一般的な名称を「新詩」に譲ったことは、前にも述べた通りである。 》
原田憲夫・訳『日本漢詩選』人文書院1974年初版に選出されている漢詩人で最後の人は1920年(大正9年)没。享年を考えると、活躍期は明治だ。漢詩文は明治に隆盛し、明治の終わりとともに衰亡した、といえるだろう。
大正元年は1912年。百年前だ。アナログレコードの売り上げが去年は一昨年に較べて倍増という。時代の変化の先触れか。
午後は知人の音楽家が展示室で演奏の録音。先月演奏して気に入ったので、また使わせてほしいと。
ネットのうなずき。
《 日本の勢いがなくなり、少し自信をなくしていたが、日本にいれば、どこでも眠ることができるし、喫茶店で席をたっても物は盗まれないし、人前で泣いても情の深い人だと思われるし、音をたてて、そばやパスタを食べてもにらまれないし、日本のいいところは、いっぱいあるんだ。 》 沖田和海
《 絵は飾るもの。部屋に飾るもの。人生を美しく飾るもの。時間を美しく飾るもの。いいな、美しいものは。 》 四谷シモン
《 本を一冊読み終えて次の一冊を積読本の中から選ぶときって楽しいね。 》
ネットの拾いもの。
《 工員・矢野ひとし 》