TOKYO未来世紀

 自宅前は大通り商店街まつりで歩行者天国。親子連れが一杯、賑やかを越してうるさいくらいの人出。昔、このまつりの実行委員長をした。お金をかけずに人の足を止めさせるイヴェントをいろいろ案出した。車道に模造紙を延々と延ばして、落書き大会を催したり。受けた。
 会場の700メートルを往復。ワゴンセールと小さなイヴェントが混在。この混在がいいのだろう。派手でないちんまりした雰囲気。これが三島の「まつり」の特徴。「大通り」といっても、とても広いとはいえない、この狭さがちょぼちょぼ歩くにはちょうどよい。車の通行の不便さを逆手にとって成功した。源兵衛川上流部では、子どもたちが川に入って賑やか。これが三島。

 喧騒を抜けてブックオフ長泉店へ。アリストテレス『弁論術』岩波文庫2002年13刷、『ドイツ名詩選』岩波文庫2002年12刷、J・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』岩波現代文庫2000年初版、バックミンスター・フラー宇宙船地球号 操縦マニュアル』ちくま学芸文庫2000年初版、二割引セールで計336円。

 昨日取り上げたの月刊太陽1993年4月号には新連載、椹木野衣インタビューによる「写真家という仕事」第一回「篠山紀信」。

《 写真家という仕事の真実に、毎回、話題の文学者、批評家が迫る大型新連載。 》

《 椹木 最近、写真を芸術の一ジャンルとして認めていこうという方向がありますね。でも、それはちょっと危険だとも思うんです。写真に絵画や彫刻と同じような地位を与えようとすることによって、写真が本来持っている力が失われてしまうんじゃないかと。

  篠山 そういうのはぼくは写真だと思ってない。写真を使った美術作品でしょう。ぼくなんかがやってることが写真です。

《 椹木 たとえば写真専門の美術館ができたりしていますよね。それに対してはどうですか。

  篠山 結構なことだと思う。でもぼくは美術館に入れるためとか、そこに評価されるために写真を撮っているわけじゃない。 》

《 椹木 新宿の写真を中心にした『TOKYO未来世紀』がありますね。きっと時間がたつと、この写真集を見てあのころの東京のことを考えることができると思う。現在の『晴れた日』が、七○年代を刻印しているように。

  篠山 この写真集は寝かせれば寝かせるほど面白い。 》

 インタビューから二十年。『TOKYO未来世紀』小学館1992年初版は、時折見ているけど、嘘みたいに面白い。「未来世紀」という言葉に一瞬くらっとする、バブリーで奇妙な時代相を、接近と望遠の冷静な遠近法で、細部まで作り込まれ、綿密に構成された写真に仕上げている。ただ見ているだけで楽しい。ぐっと踏み込んでそこから何かを読み取る=引き出すこともできよう。楽しみ方は見る人に委ねられている。サービス満点。

《 椹木 篠山さんの写真は音がない世界だな、って思ったことがあるんです。

  篠山 それは写真として純化しているってことです。 》

 第一回「篠山紀信」には「高田万由子一家」の白黒写真。彼女と父母祖母の五人が古い和風の和室縁側に取り澄ました表情で佇んでいる。

 毎日新聞朝刊に高田万由子と母の笑顔の写真。二十年前の篠山紀信の写真との違いっぷりが面白い。父は亡くなっているというから祖母も亡くなっているのだろう。

 ネットの拾いもの。

《 人出は最高、売り上げ低調、疲れは倍増。 》