『TOKYO未来世紀』(閑人亭日録)

 東京新聞、きょうの文化欄のコラム『大波小波』は、留「追悼 篠山紀信」。その後半。

《 写真の全能性と時代表象性を率直に信奉していた点で、彼は19世紀パリ最大の肖像写真家ナダールに似ている。だが少し見方を変えてみよう。新宿の真言宗円照寺の住職の息子として生まれ育った篠山は、衆生に戒名を施すようにカメラを向けていたのではないか。被写体はすべて救済され浄土に向かう。写真家もまたしかり。 》

 そうかあ。コラム前半で名の上がった荒木経惟中平卓馬東松照明の本はもっていないが、篠山紀信の写真集『TOKYO未来世紀』小学館1992年2月10日 初版第1刷発行はもっている。モデルの女性たちの何とも不思議な表情がずっと気になっていた。上記引用文で謎がふっと解けた気がする。あるいは一筋の光明。

 午前十時、源兵衛川中流、三石神社横の眼鏡橋周辺の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。重くなって終了。帰宅。一汗。ふう。
 午後二時、菓子折りを持って友だちと福聚院へ行き、一昨日の前住職の木版画の反響「木版画で有名ですね」を伝える。