道楽文学者あるいは知的風流人

 曇り空で肌寒い。昼前にブックオフ函南店へ自転車で行く。水尾比呂志『日本造形史』武蔵野美術大学出版局2010年6刷、いその・えいたろう『性人伝』徳間文庫1999年3刷、平松洋子『サンドウィッチは銀座で』文春文庫2013年初版、フェリペ・フェルナンデスー=アルメスト『食べる人類誌』ハヤカワノンフィクション文庫2010年初版、計ニ割引336円。午後はまったり家こもり。

 次に何を読むか、また本をどのように整理するか、はどちらも楽しい煩悶だ。本の整理は、単行本、新書本それに文庫本で大分け、翻訳、ミステリー、エッセイ類と大まかに分けて積んである。いい具合にまとまると段ボール箱に収める。文庫本は出版社別に分けることもある。岩波文庫岩波現代文庫ちくま文庫ちくま学芸文庫、中公文庫、講談社文芸文庫講談社学術文庫そして創元推理文庫は、文庫でひとまとめにしてある。複数の文庫にまたがっている著者でも数の少ない人は、文庫別。多いひとは著者別に。そんな仕分けをちょこっとしながら本をついつい読んでしまう。丸谷才一『みみづくの夢』中公文庫1988年初版を手にし、本文ではなく川本三郎の解説を読んでしまう。

《 二十代の頃は人間どうしたって精神主義にがんじがらめになり悲愴で深刻で糞真面目になる。「花田清輝より吉本隆明」であり、「石川淳より埴谷雄高」である。そういう時期には丸谷才一を読んでもその良さがわからなかった。 》

 ご同類がいた。

《 丸谷才一は、石川淳とか花田清輝とか林達夫あるいは澁澤龍彦といった文学者たちと同じ精神家族に属していると思う。私はひそかに彼らを「道楽文学者」と名付けている。あるいは「知的風流人」。(引用者:略)文学の「道」を修業するのではなく「道楽」として文学の世界に遊んでしまう。まじめな文学者から見ると実に「不届き」「ふまじめ」なのである。 》

 いいなあ。これを美術に移すとはて、どうなるか。

 ネットの拾いもの。

《 三島駅の立ち食い蕎麦店。昨年8月の駅舎完成で、JR〜国鉄時代同様、「3社5業態6店舗」という全国唯一の激戦を今もなお維持している。 》

 地元民としては一度食べに行かねば。

《 東北地方で、本線から支線への接続を敢えて悪くすることで、駅そばの売上を維持している駅があります。待合室のダルマストーブ゙のそばで、めんつゆの匂いがすると、つい食べてしまいます。 》

《 さて、心はこの地に着いた時から焦り始めていたので、早めに帰ることにするか。しかし帰りの電車を調べてみると、このふるえがくるほどの接続の悪さはどうだ!…帰り着けるのは…十時くらいだろうか…。 》←角田駅(かくだえき:宮城県角田市角田にある阿武隈急行線の駅)古本屋ツアー・イン・ジャパン