強い美 弱い美

 午前中は源兵衛川のトンボの生態の観察会。飛び石の側面にヤゴの抜け殻。注意して見れば見つかるものだ。カワセミが水面にドボン。午後は雨。

《 力には良く知られている重力や電磁力、原子核をまとめている強い力、ほかに陽子を中性子に変える等の作用をする弱い力の4種類があります。 》
 http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/gaiyou4fouce.htm

 強い美、弱い美という視点を考える。強い美とは、鑑賞者にぐっと迫ってくる作品。すごく強くて後ずさりさせる作品もある。弱い美とは鑑賞者が抵抗無く思わず惹き込まれ、つい目を近づけてしまう作品。弱い美は軟弱とは違う。強い美は凸、能動的。弱い美は凹、受動的。強い弱いに優劣はない。美の現れ方、鑑賞者の受け取り方の違いがあるのみ。

 強い美とは、西洋美術の全般に見られるもの。近現代ではファン・ゴッホセザンヌピカソの油彩画を思い浮かべればいい。弱い美とは日本美術の王朝和歌の書や木版浮世絵に見られるもの。狩野派の障壁画は強い美。

 セザンヌの『サン・ヴィクトワール山』には強い美の油彩画と弱い美の水彩画がある。

 北一明氏の茶碗は弱い美。では、デスマスクは? 強い美、と言いたいが答えに窮する。

 味戸ケイコさんから彼女の挿絵に相応しい小説を、と依頼されて挙げた短編、泉鏡花『薬草取』、稲垣足穂『或る小路の話』そして川端康成『片腕』は、弱い美と、私は判断するが、強い美とみなす人もいるだろう。どこを重視するかで、強弱が別れる。

 強い美、弱い美を固定したものとは考えず、作品と鑑賞する人との間に成立する認識によって、美がそのつど定まる、と今は仮定しておく。同じ作品にたいして強い美と判断する人もいれば、弱い美と判断する人もいる。どちらの人もその作品を優れている=美があると判断していることでは一致する。「シュレーディンガーの猫」みたいだな。

 強い美、弱い美を考えた遠因には二つある。一つは、海外は知らないが、絵画に関して日本では油彩画の質感(物質感)の表現力があまりにも高く評価され、その反面、水彩画や版画が油彩画より下に見られてきたから。版画=半画という言葉さえあるのだから。イラストやマンガは芸術の埒外という感じ。油彩画日本画はそれだけで上質、芸術という風潮は改めたい。

 もう一つは、美の強度ばかりが強調重視されてきたことへの違和感。ロダンのブロンズ像など、その材料の強度と表現の強度が相まって美の強度と評価される反面、儚いもの、壊れやすいもの=フラジャイルな作品への評価は低い。美の弱度(弱い美)という視点も必要ではないか。

 安藤信哉の晩年の水彩画は、強固な構造を背景にして弱い美が成立している。セザンヌも同じだ。

 ネットの見聞。

 小林旭が話題にあったけど、知人女性のご近所さんが小林旭の家。まな板みたいにデカイ表札だった。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140326-00000005-nksports-ent

 台湾の政治はすごいことになってるなあ。
 http://togetter.com/li/646735

《 ギジェルモ・カブレラ・インファンテ『TTT: トラのトリオのトラウマトロジー』(現代企画室)読了。最終章は、かなり濃い文学教養をむやみな言葉遊び(駄洒落)で畳みこみ、なんかもうてんやわんや。 》 牧眞司 

《 邦訳で読んでも(別な意味で)無茶で、面白いです。しかし、これを翻訳した寺尾隆吉さんはムチャクチャ無茶で素晴らしい。インファンテ夫人のご指名(版権契約の条件として)だそうです。 》 牧眞司 

 ネットの拾いもの。

《 今月中に死ぬのと来月以降、死ぬのでは、遺族の負担に差が出るわけだな。
  だから、増税前の昇天ラッシュがあるやもしれない。                》