曇天

 今朝は自転車で来たので開館前に近所のホームセンターへ日用品を買いに行く。日用品つまり消耗品つまり洗剤や紙なんかだけど、あっても困らない、無くては困るのが日用品。無くても困らないのが本と絵。その二つがあり過ぎて困っている、かな。いや、それが好き者には困るという発想がない。昨夜は床に積み上がった古本を某所の棚に押し込んだ。一件落着。でも、応急手当であることは間違いない。二十一世紀になって絵はほとんど買っていない。古本と違って、絵は嵩張るし取り扱いに慎重さが求められる。粗忽な私にはこれ以上の絵は無理無理。なにせ、まだ展示していない安藤信哉の優れた絵が何点もあるのだから。その安藤信哉の七十歳を過ぎてからの絵、特に水彩画には目を見張る。ポール・セザンヌ晩年の水彩画に通じる=共通する素晴らしい作品だ。ところが、その水彩画はさほど注目されずにきた。当館で展示して、やっと日の目をみたような。セザンヌは五十六歳になってやっと初個展ができた。その十年後、六十六歳で亡くなった。安藤信哉には画商がつかなかった。日展の参与まで務めた人だから、遺族の話では貧乏で苦労したというから、周囲の画家たちは作品と人格を評価したのだろう。私は、作品は言うまでもなく高潔な人格にも感銘している。セザンヌは頑固オヤジだったらしい。吉田秀和セザンヌは何を描いたか」から。晩年の水彩画「シャトー・ノワール」1904年。

≪この絵では──建物と木は、それらしき形をなして認められるけれど、そのほかの色の置き方は、もう抽象的な配色、いや色彩間の自律的な調和と対照、変化などを重視して塗られているのである。色彩それ自体が、形をはなれて、自律性を獲得したのである。≫76-77頁

≪この後期の水彩画にセザンヌの芸術の最高峰を認めたがる人の少なくないのも当然である。また私たち東洋人としては、同じセザンヌでも、これら後期の水彩画には、よりいっそう肌に合った感触が感じられるという事情もあろう。≫81頁

≪これらの絵が、はじめから、普通の意味での「イリュージョン絵画」、つまりまるで実物を目の前にしているかのような感じをあたえる絵として描かれたものではなかったことを示す。その反対に、画家は自分の内部の最も深いところにある要求を視覚化しようとして、長年にわたり、数えきれないほど制作を重ねたのである。しかし、セザンヌの大きな才能をもってしても、これは容易なことではなかったらしい。≫85−86頁

≪彼はあくまで「自然とのコンタクトを失う」ことを恐れていたのである。しかし、それは単に事物を忠実に描写するということではない。事物を眺めながら自分のなかに生まれている感覚を失わないこと。それを実現すること。晩年の水彩の静物画のなかには、彼の営みをこの両面から示して最高の成果を生んだものがいくつもある。≫92−93頁

 まさに安藤信哉論を読んでいるようだ。