「近作を中心としたヴァイキング式、百冊の本」

 風薫る五月。ブックオフ長泉店で三冊。東野圭吾真夏の方程式文藝春秋2011年初版帯付、辻まこと辻まことセレクション1  山と森』平凡社ライブラリー1999年初版、同『虫類図譜(全)』ちくま文庫1996年初版、計324円。

 昨日の種村季弘『雨の日はソファで散歩』の流れで氏のご子息の経営するスパン・アート・ギャラリーで購入した『徘徊老人の夏』 ちくま文庫2008年初版を開くと、「画廊」にこんなくだり。

《 その前の週は「空想ガレリア」という中村宏の個展会場を訪ねた。初めての画廊。 》

《 火を吐くような息で六階にたどり着くと、なつかしや、六○年代女学生シリーズの数点があり、思い切って銅版画を一点買った。 三十年前に買いたかった作品を、いまようやく手に入れたという気がした。 》

 昨日記した、購入した中村宏の版画は女学生シリーズの「聖少女」。

 関連して探していた雑誌が見つかった。『リテレール』1992年冬号メタローグ、特集「わが読書  生涯の 愛読書ベスト100」。ここに種村氏は「近作を中心としたヴァイキング式、百冊の本」を寄せている。

《 そろそろ小説の界隈に近づいてきたところで、大西巨人三位一体の神話』にまつわる話をしたい。この夏、私はこの 小説の書評を書いた(「優美な死体は酒を飲むだろう」、図書新聞七月二十五日号)。これに対する大西巨人の反応「半可通の 知ったかぶり」が「群像」九月号に出た。要するに、当日、晴天無風の九州にいもしなかった人間が半可通に知ったかぶりを いうか、ということらしい。 》

《 『三位一体の神話』の書評を書いたのは、かねてから、大西巨人の分身殺しのモティーフに興味があったからだ。 》

《 こちらが小説の構造に関してそう書いたあげくの大西巨人の反応は、「過失または故意の錯覚妄想に立った種村の支離滅裂な 戯言全体を、私は、ここでは私の論外に置く」ときた。なにいってやんでえ、それを論外に置いたのでは、犬の遠吠えだ。ただの 反感であって、反論になっていない。以後、こっちも大西巨人を「論外」に置く。 》

 ネットのうなずき。
《 現在の日本は、「事実」や「論点」がおろそかにされ、「結論」だけを急ぎ、さらに「結論」が人と違うと「自分が正しい」 とする風潮が蔓延している。すこし表現が悪いが、あまり根拠を言わずにバッシングする人を見ると「あなた、神様?」 と言いたくなることがある。 》 武田邦彦
 http://takedanet.com/2014/04/post_5984.html

《 いまは「天皇陛下の公人性」について。総理大臣以下「公務員の憲法遵守義務」不履行が横行している中でただひとり「公務員」 を全うされていることに僕は深い敬意を抱くのであります。 》 内田樹