セリーヌ『夜の果ての旅』の印象が強烈で次に読む本が思い浮かばなかった。丸谷才一『横しぐれ』を、 池澤夏樹=個人編集『日本文学全集』(河出書房新社)に収録されているからとりあえず読んでおこうと、 『新潮現代文学63 丸谷才一』新潮社1979年初版収録で読んだ。国文学者の「私」が、医者だった亡父 が昭和十五年に友人と四国を旅して、松山市で俳人の種田山頭火と酒を酌み交わしたのでは? という 仮説を立て、それを論証しようと文献を漁って四苦八苦するうちに偶然、亡父の四国旅行の目的を知る、 というもの。小説の結構は、後年の『輝く日の宮』同様、小説の中に文学研究を取り込んだかたち。
《 ところが頼政と信実とは、彼らめいめいの生活と技術に促されて横しぐれを見てしまひ、それを言葉で とらへてしまひ、伝統的な趣味と美意識の形づくる頑丈な柵を越えてしまつたのである。 》
上記に『夜の果ての旅』を連想。
源頼政の歌。
旅の庵は嵐にたぐふ横しぐれ柴の囲ひにとまらざりけり
藤原信実の歌。
風わたるみねの木の間のよこ時雨もる山よりも下葉そむらむ
《 「そもそもあの生き方が、死なうとして無理をしているやうなものでせう。でも、もちろんなかなか死ねない。」 》
上記にも以下の『夜の果ての旅』の一文を連想。
《 命を絶つか、ごまかすか。僕には自殺する力はなかった。 》
『横しぐれ』を読んで正解だった。『夜の果ての旅』の引力圏を抜けた。
http://www.kawade.co.jp/news/2014/05/-201411.html
朝、グラウンドワーク三島から電話。午後からフィリピン人大学生たち十五人を源兵衛川などへの案内を 頼まれる。久しぶりにフィリピンの歌手を現地のカセットテープで聴く。昭和時代の Celeste Legaspi 。 私と同い年か。これじゃあ通じないわな。案内は無事終了。やれやれ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Celeste_Legaspi
晩、お寺の檀家の集まりへ。そこに居合わせたマレーシアの女性研究家に、歌手のシティ・ヌルハリザ Siti Nurhaliza 、シャリファ・アイニ Sharifah Aini を好きだと言ったらびっくりしていた。
ネットのうなずき。
《 遠隔操作事件で忘れてはいけないことは片山被告のことや弁護士のことではなく、冤罪で逮捕された四人と 更にその内二人が罪を認めたってことだと思うんですよね。 》
ネットの見聞。
《 大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を掲載します 》
http://www.news-pj.net/diary/1001
ネットの拾いもの。
《 恋には「アメと無視」 》
《 珍しい猫は珍重されるが珍しい人は迫害される。 》
剷