「夜の果ての旅」つづき

 セリーヌ『夜の果ての旅』中央公論社1964年初版、生田耕作編、年譜から。

《 フランス文学史上空前の革命的文体と、社会通念を無視した衝撃的内容のため、賛否両論の大反響を巻き起こし、 発行と同時に驚異的な売れ行きを示す。 》

 生田耕作の解説から。

《 数日間に五万部を売りつくし、読者の注文に応ずるために、同時に三つの印刷所を動員しなければならず、出版社の 前には着荷を待ち受ける本屋の店員が列をつくるほどであった。 》

《 さらに批評家モーリス・ナドーは、次のように述べている。
 「われわれ若者は息のつまる思いだった。人生と文学の経験において、これほど強烈な、これほど真実ななにものも、 われわれはいまだかつて読んだためしはなかった。」 》

《 戦犯宣告、一年余にわたる牢獄生活、文壇からの抹殺、生活の困窮、とうちつづく苦難に、セリーヌの晩年は、 文学者として、また人間として、悲惨のどん底におかれていた。 》

《 セリーヌの文学が公正な評価の光に浴し、正当な位置を回復する日の到来は、まだ今後の希望に委ねられねばならない 現状である。 》

 それから五十年。時代は変わった。丸谷才一三浦雅士鹿島茂『文学全集を立ちあげる』文春文庫2010年初版、 「世界文学全集巻立て一覧」全133巻の第60巻がセリーヌ「夜の果てへの旅」「なしくずしの死」に当てられている。 なんとも高い評価だ。

《 三浦 セリーヌ(1894-1961)はいいですか。
  鹿島 セリーヌは巨峰です。セリーヌは一巻で、「夜の果てへの旅」と「なしくずしの死」を入れる。これは名作 ですよ。 》

 昨日は金子光晴との同時代性、共時性にふれたが、プルーストの大長編『失われた時を求めて』への異議というか、 違和の視線も感じる。どちらも一人称だが、『失われた時を求めて』は上流階級が舞台。『夜の果ての旅』は下層階級 が舞台。

 絵画の傑作の条件に、描写力、表現力、構成力そして構想力の四点が挙げられるが、『夜の果ての旅』はその 構想力までも十分に備えている。名作といわれるゆえんだ。昨日の引用、

《 考えてみれば、どうして美の中と同様、醜さの中にも芸術が存在してはいけないのか? そっちのほうはまだ 未開拓の分野、ただそれだけのことだ。 》

 この一文に北一明の陶彫、デスマスク、デスヘッドを連想する。三十年余り前、新橋のギャラリーで初めて接した 陶彫作品に異様な震えを感じた。見たことのないものを見た。異形のモノ、ではあるが、妖怪や怪物とはまるで違う。 その大いなる問いへ自分なりの答えを見出すのに十年ほどを要した。これらについての批評はあまり目にしない。 美術作品ではあるが、常識からあまりに逸脱しているのかもしれない。北一明『ある伝統美への反逆』三一書房セリーヌと北一明、共通する晩年。

 ブックオフ函南店で二冊。北村薫『いとま申して』文藝春秋2011年初版帯付、吉田篤弘『水晶萬年筆』中公文庫2010年 初版、計216円。夕焼けで雷雨。

 ネットの見聞。

《 集団的自衛権解釈改憲に反対する立憲デモクラシーの会が4月25日に法政大学で開催したシンポジウムの講演録が 掲載されました。 》
 http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/activities

《 昨日、天皇陛下が栃木県佐野市の郷土博物館を見学されたそうです。ここには田中正造さんが明治天皇へ渡そうと した足尾銅山の直訴状があり、113年の時を経て明治天皇のひ孫である天皇陛下がご覧になられたとのことで何だか 凄いな、と 》

《 天皇は、昨年には水俣に行ってるね。今度は渡良瀬と足尾銅山。メッセージを感じるがね。 》

 ネットの拾いもの。

《 もしかして東京オリンピックは日本のメダル独占じゃないか?外国のチームも選手もなるべくはやくに 帰りたいんじゃない?北京五輪の大気汚染もひどかったけど、日本は放射能だぜ。 》