「 ムントゥリャサ通りで 」

 ルーマニア生まれのミルチャ・エリアーデ(1907-1986)『ムントゥ リャサ通りで』法政大学出版局1977年初版を読んだ。1967年の発表。 ルーマニアの小学校の校長だったという老人の記憶に精密に刻み込まれた 驚異の出来事が、本筋から逸脱、再帰、逸脱、再帰を繰り返して語られる。 御伽噺、民話、夢幻そしてミステリー。御伽噺、民話のような箇所。 二メートル四十センチの巨大美女オアナ。

《 こういった出来事は山麓の村々にも知れわたり、精力絶倫を鼻にかけた 男たちが山へ登ってきました。そしてオアナは彼らを順番に自分の臥床に 迎え、せめたて、さいなみましたので、次の日また翌々日には精魂尽き はて、ふらふらの脚どりで山を降りていき、そのうちひとりとしてそのまま 自分の村にたどりつける者はありませんでした。どこか道の傍らに寝そべっ て、まるで大病のあと昏々と眠る時のように、まる一昼夜眠りつづける のでした。 》 82頁

 夢幻的な箇所。

《 急に片手を上に振りあげてなにかを掴みました。私たちが目をこら して見ると、それは一種の長い定規のようなものでしたが、ただしガラス 製のものでした。それを地面において、引っ張り、長く延ばしはじめました。 そしてあっというまに、それは厚くて高さが一メートル半くらいのガラス板 になりました。それをしっかり地面に据えると、その一方の側を掴んで また引っ張りはじめました。するとガラスは彼の後についてどんどん延びて いくのです。そして、二、三分のうちに数メートル四方のガラスの水槽、 あの水族館にある水槽を巨大にしたようなものができ上がりました。 》  56頁

 ミステリー。

《 「なにか分かったか?」   「いや、こっちの顔を憶えていないふりをしたよ。無理もないがね」 》  162頁

 通りの由来。

《 「それからまもなく、自分の父親の右腕だったムントゥリャサという 男と結婚させ、彼女に家と土地をつけてやりましたが、その土地の上に あとでムントゥリャサ通りが作られたのです。」 》 123頁

 昨日の「ホーニヒベルガー博士の秘密」と「セランポーレの夜」を 合体、拡大したような数奇譚。

《 しかし、この幻想小説がこれまでの作者の幻想小説とやや毛色が違う のは、ひとつには第二次大戦後のルーマニアの政治体制にたいする風刺 小説という側面と、第二に、一種のミステリー小説という側面を持って いることである。 》 訳者あとがき

 訳者直野敦によると、「ホーニヒベルガー博士の秘密」は「ホニグベ ルガー博士の秘密」に、「セランポーレの夜」は「セランポレの夜」に、 ルーマニアの首都ブカレストはブクレシュティに。

 のんびり昼寝をしていたら知人女性から電話。三留理男(みとめ・ただお) というカメラマンの講演会を九月にすることになったんだけど……。ガバリ と目が覚める。どんな人って、そりゃ有名な報道カメラメンだよ。そんなに すごい人なの? わあ、知らなかった。おいおい。

 暗くなって、桜川の灯籠流しへ。

 ネットの見聞。

《 ろくでなし子さんの件、猥褻かどうかばかり議論されているが、警察は
  1)逃亡のおそれのない女性の身柄を事前に通告なく拘束し
  2)護送の様子をマスコミに撮影させ
  3)「自称芸術家」と喧伝させ
  たのだ。
  これは猥褻事件などではなく、警察がおこした人権侵害事件だ。 》 稻本義彦

《 「猥褻か、猥褻ではないか」で戦っている人たちと「猥褻なものを 取り締まるべきか、否か」で戦っている人たちがわかり合えないでいる 間に「猥褻だから取り締まっちまえ」で一枚岩になっている警察/検察が 各個攻撃で何もかも潰してしまう未来が見える。 》 太田忠司

《 横溝正史が読み継がれているのは、今の一部の漫画や小説にあるような 「わかりきったところはすっ飛ばし、読者の読みたいところへ直行する」 のではなく、時代が変わっても不変で普遍な部分まで届くよう「物語の タラップ」を下ろしているからだろう。「わかりきったところ」は数年で 意味不明なものとなる。 》 芦辺拓

 ネットの拾いもの。

《 NHK籾井勝人は定例記者会見で、上期の賞与にあたる期末報酬の全額 140万円を自主返上する理由について説明を求める記者団に 「『籾井、よくやった』と書いてくれれば十分じゃないですか」

  記者も、籾井がNHKの会長を辞めれば『籾井、よくやった』と書けるのだが、 と返せば良かったのに 》