「 花と蛇 」

 昨日ふれた団鬼六の官能小説『花と蛇 9 完結篇』富士見文庫1986年初版、 松田修の解説では笹岡作治の官能小説に団鬼六を対比させている。笹岡作治、 未知の作家だ。幻のゲイ小説家だった。

《 もちろんどちらが優で、どちらが劣かの判定は本稿の責任を超えている。 そのことを確認の上でいうのだが、笹岡作品の時間は否定を契機とする弁証法を 内包しているが、「花と蛇」にはそのような展開はない。勝義におけるアジア的停滞 と名づけたら、失笑を買うだろうか。/ アジア的─日本的時間にみあって、それを 絵巻物的・物語的展開と名づけてもよい。/ つまりは無時間ということなのであろう。 無時間ほど時間的であるものはない。金太郎あめのようにどこを截っても同じ顔が でてくる。 》

 明治以前の絵画には影がない、時刻が不明である、とよく言われる。松田修の解説の 無時間という言葉が心に残る。そういえば、意識と心。これまた西洋と日本だ。

 『花と蛇 2 涕泣の巻』角川文庫1984年初版、宮本輝の解説から。

《 ともあれ、「花と蛇」はSM小説の傑作であろう。例の「家畜人ヤプー」とは 異なった次元においてであるにしても。我々は余計な理屈など持ち込まず、小説そのものを こっそり楽しめばよい。 》

 そうなんだよなあ、理屈が邪魔。特に現代美術。それはさておき。論客の持論を読んでいて 思い浮かんだ言葉が羞恥心。団鬼六の中心概念は羞恥心にあると思う。それが欠けると、 ただのエロ小説。で、羞恥心の誕生と変遷を辿ってみたいが、手元には資料はまるでなし。 それにしても水木しげるの貸本漫画の美女にはどこかしら羞恥心を感じる。つつましさの 別の現われかもしれない。

 午前中はグラウンドワーク三島の作業で、学生たちと三島市南部の山裾の竹刈りへ、。 暗くて日が射さない放置竹林に密生している細い竹を伐採。終われば冬の陽射しがスーッと 入り込み、明るくいい雰囲気。三日連続で汗を流した。肉体が生き生きしてくる感じ。

 午後、三日間の作業で汚れたブルゾンとジーンズを洗濯。ブックオフ長泉店へ。朽木ゆり子 『東洋の至宝を世界に売った美術商 ─ハウス・オブ・ヤマナカ─』新潮文庫2013年初版帯付、 中島京子ほか『明日町こんぺいとう商店街』ポプラ文庫2013年初版、根本敬『因果鉄道の旅』 幻冬舎文庫2010年初版、橋本治『その後の仁義なき桃尻娘講談社文庫1985年初版、計一割引、 386円。

 ネットの見聞。

《 もうすぐ2回目の審理が行われます 頑張ります。 》 黒木睦子
 https://twitter.com/mutsukuroki