「 肌ざわり 」

 赤瀬川原平「肌ざわり」(『肌ざわり』中公文庫1983年初版収録)を題名に惹かれて読んだ。 見ること=視覚ばかりがまかり通るのにうんざりして、皮膚感覚=触覚の復権を考えていて、 これを読んだ。吉行淳之介丸谷才一河野多恵子の三氏が審査員を務めた中央公論新人賞を 受賞した、彼の小説第一作。「三年後のあとがき」から。

《 小説というのをちゃんと書くのははじめてであり、本当に手探りで書いた。 》

 手探り、肌ざわり。床屋恐怖症ともいえる語り手が、見知らぬ床屋へ入ってしまって、 しまった、と後悔するが、後はまな板の上の鯉の気分。

《 私はチラと非常識なものを感じた。これはたしかに床屋なのだろうけど、私はいったい どう料理されるのだろうか。私はチラチラ後悔をはじめた。 》

《 シャボンを塗って、剃って、塗って、剃って、もう三回目である。もはやどこにも毛など 露出していないはずである。だけど男の剃刀はなおも面相筆のようになって、私の喉笛の曲面を 撫でつづけている。 》

 恐怖小説の一場面のよう。床屋へ行く前にトマトを茹でる場面があり、それが二重写しになる 構造。

《 すっうと皮が剥けて、まな板の上に赤いブヨブヨのかたまりが三つ並ぶ。 》

 外面(外界)の肌触り。内面(内界)の肌ざわり。道理や理性では演算できない肌ざわりの感覚。 モニター画面では体験できない感覚。
 西洋の油彩画は、人物の肌、物の質感をいかにそれらしく見せるかに腐心してきた。そして超絶的な 再現技術を獲得した。西洋絵画の大いなる遺産だ。対して日本では対象の忠実な再現にはさほど関心が 向かなかった。そのように見えればよい、というほどだった。そのものそっくり、ということがさほど 重視されなかった。北斎、広重の風景画、春信、歌麿美人画を見れば、それは明らか。この違いは何に 由来するのか、私には未だに不明。
 皮膚感覚=間がらに注視してみる。裸の意味合いの違い。裸体=西洋、肉体美=そっくり。裸=日本、 適当=あけっぴろげ。人肌描写における東西絵画の大きな違い。大体、当時はいざ知らず、現代人が 江戸の春画に発情するかなあ。人間関係が近しいから、人肌そっくりな描写は求められなかった?江戸。 明治の文明開化でキリスト教が知られるようになって、人肌は次第に恥ずかしい=隠すもの、となった。 人前での肌と肌の接触が疎遠になった。いいのか悪いのか。人肌表現はそっくりに。純粋絵画の歴史を 観ると、水木しげるの漫画は江戸の流れを汲んでいる、かな。
 文学に目を向けると、団鬼六の官能小説は、まさしく反純文学だ。いや不純文学だな。そこには 肌ざわりが重要なものとなっている。これはろくでなし子の事案に……逸脱してしまった。
 考えた発端は、そっくりの絵画と写真によって、文明開化後の日本は、肌ざわりという言葉が含んでいた、 皮膚感覚=間がらを失っていったのでは、という思いつき。人から人間へ。世間から世界へ。人の距離= 疎外の誕生だ。それはまた、自我、自己の形成にかかわる。岡本綺堂の半七捕物帖を読むと、 江戸末期の人のあり方が、今とはえらく違っていることに気づく。

 午前午後、昼休みをはさんで源兵衛川下流部の草刈りと浚渫作業に大学生たちと従事。見違える。

 ネットの見聞。

《 大書店入口の新刊話題書コーナーじっくり見てたら、頭ヘンになってきた。 なんの興味も持てない本がここまで壮大に並んでいると、なんか不安になる。 》 森岡正博

 だから私は新刊書店へ行くことが減った。

《 「戦争を美しく語るものを信用するな、
   彼らは決まって戦場に行かなかった者なのだから。」
   クリント・イーストウッド 》

《 米、安倍氏の「歴史」対応注視 議会報告書、戦後70年の節目に  》
 http://www.47news.jp/smp/CN/201501/CN2015011601000828.html

 ネットの拾いもの。

《 そういや、昔某掲示板で土方歳三の話をしていたら、横から唐突に「土方(ドカタ)は 差別用語なので正しく土木作業員と言ってください!」てすごい勢いで噛み付かれて、全員  …えっ?(・∀・)てなりつつもその後スレ終了まで土木作業員歳三と呼んでいた。 》